昔の武士と、現代のビジネスパーソン
には、たくさんの共通があります。
「松平家の教え」が、時代を越えて
なお受け継がれてきたのは、いつ
の世でも色褪せない、再現性
を持っているからです。
大日本茶道協会の流祖である新沼先生
は、次のようにおっしゃっている。
「茶道は昔は武士のたしなみだった。
戦場においても平静に茶を楽しむ
心、これを陣点という。
また何時敵となるかも知れない相手を
もてなし、常に備え、すべてに気を
配り、機に応じ時に従って処する。
しかもいささかの隙も見せない全身一心
の振る舞いを見につけること、
これが茶道の求めるもの」
「覚悟の一服」を飲み込める人こそ、一流。
戦国時代、軍を率いる大将は、出陣前
に一服のお茶を飲んだそうだ。
このお茶は、大将の心を決する、
いわば「覚悟の一服」であった。
大将にとって、戦場でお茶を飲むことは、
迷いを断ち切るための作法であった。
すべてを自分で受け止めようと
いう、覚悟の証でした。
采配を振る前に「覚悟の一服」を飲む。
湧き上がった感情をお茶と一緒に飲み
込んで、冷静に受け入れる。
どのような結末を迎えよう
とも、目をそらさない。
逃げ出さない。
言い訳をしない。
だから名将たちは、泰然と
していたのです。
私は松平家の末裔として、数多くの
一流の男性を見てきました。
彼らの共通しているのは、自分以外の
何かのために、自分以外の誰からの
ために、自らの人生の一部、もし
くはすべてをかけてことを
成し遂げる「覚悟の強さ」でした。
つまり、「覚悟の一服」こそ、
「一流の男性」の原点なのです。
一流は、いつの時代も、高い
精神性を持っています。
しなやかな強さと、深い優しさを持ち、
周囲から信頼され、愛される。
一流と二流を分かつのは、「心のあり方」。
一流を一流たらしめているのは、「心を
どう構えているか」なのです。
「あんぱん」ひとつでも持っていれば、
一流の振る舞いはできる。
裕福でも空腹でも、いつでも自分の
身を削って、人のために尽くす。
「あんぱん」がひとつでも手元にあるなら、
その「二分」を他人のために分ける。
それが一流の振る舞い。
私の父、松平守弘は、場に溶け込む
のがとても上手な人でした。
帝国ホテルで皇族方と食事をする
ときも、駅前のスナックでカラ
オケに興じるときも、その
場にふさわしい振る舞いをします。
溶け込むといっても、「自分の存在を
消す」わけではありません。
「相手に合わせる」ということです。
相手に合わせることができるのは、自分
の心の中に、たくさん引き出しを
持っているからです。
一流の人は、どこにいっても
相手に合わせられます。
その場に溶け込み、その場に合った
振る舞いができる人こそ、一流です。
一流の人は、どのような相手であっても、
ミスをとがめたりせずに「やり過ごす」
ことがあります。
なぜなら、恥をかかせないことは、
一流の思いやりだからです。
二流は仕事を「作業」と捉え、
一流は仕事を「夢」と捉える。
「失敗をしたら、一度、切腹するしか
ない」と私は思っています。
切腹とは、辞めることではなく、自分
の非を認めて、失敗にともなう
痛みに耐えることです。
二流は決断を「重責」と感じ、一流は
決断を「醍醐味」と捉える。
安請け合いはしない。
自分にできる小さな
ことに最善を尽くす。
一流の人は、どんなに忙しくても
時間に追われません。
どんなときでも心にゆとりを持ち、
限りある人生の時間を味わう
ように大切にします。
心に余裕がある人にこそ、
ヒトもモノも集まります。
一流の人はそうしてより充実した
時間を作り出します。
約束の時間には、余裕を
持って臨みましょう。
そして、汗が引くのを待ち、身だし
なみを整えてから、面会に
臨みましょう。
「時間通り」は、遅刻。
「5分前」を定刻に設定する。
会話中は、腕時計を見ない。
ひとりの時間に感性を磨く。
あと何回、「桜」を見られる
のかを意識する。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝