『致知』9月号の表紙を飾っていただいた
東洋思想家の境野勝悟さんは現在89歳。
年齢を増す度に、古典の味わい方が
変わってきたと話されています。
境野さんは『方丈記』や『おくのほそ道』を
いま、どのように読まれているのでしょうか。
能楽師・安田登さんとの対談記事の一部を
紹介します。
★境野さんが表紙の最新号の詳細、
申し込みはこちら
───────────────────
(境野)
鴨長明の『方丈記』や『おくのほそ道』の冒頭
部分もまた、何度読んでも味わい深いもの
があります。
行く川のながれは絶えずして、
しかも本の水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。
(『方丈記』)
川の水はもとの水ではない。どんどん変わる。
水の泡も生まれてはパッと消えてしまう。
これも『枕草子』と同じですね。
すべては変わってしまうものだ。
あまりこだわってはいけない。
サラサラと流れるように生きていこう。
これも日本人の生き方ですね。
「潔い」、これが日本人です。
月日は百代の過客にして、
行き交ふ年もまた旅人なり。
船の上に生涯を浮かべ、
馬の口とらへて老いを迎ふる者は、
日々旅にして旅を栖とす。
(『おくのほそ道』)
当時の旅は一宿一飯でした。
旅先の家で夕食をご馳走になり、
一晩泊めてもらって翌朝に出立する。
このように毎日変わる景色を見、毎日違った
人に出会いながら歩き続けるのが旅なんです。
だからいちいちこだわらない。サッパリ!
『おくのほそ道』の冒頭には、こんな句が
ありますね。
草の戸も住み替はる代ぞ雛の家
いままで自分が住んでいたむさ苦しい家も、
私が旅に出ていくと若い夫婦が入ってきて
お雛様でも飾るだろうという意味ですが、
このように人生というのは常にどんどん変化
していく。
ところが、僕自身はというと、
いつまでも元気でいたいから、
死や病という変化が怖いんです。
誰でも変化は怖いんだけど、
そういう時に『枕草子』や『方丈記』、
『おくのほそ道』を読むと、
変わっていくものの中に味わうべきもの、
心を動かすものを発見して生きていけば
いいんだという思いに駆られます。
またそれを見つける目を養っていかなくては
いけない。それが日本人の風流の生き方です。
致知出版社の人間力メルマガ
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!