経世会は、のちに自公政権の礎を築いた “策士″
野中広務と小渕総理急死の首相臨時代理から
“参議院のドン″となる青木幹雄という
「衆参のドン」となる官房長官を輩出する。
現職官房長官・菅義偉の師匠・梶山静六の知ら
れざる戦略家のDNAは、菅に受け継がれたのか。
「安倍政権の最大のキーマン」菅義偉内閣官房
長官の次なる一手、此の男の政権戦略が
日本政治を震わす!
菅義偉は、大学卒業後、大物議員である小此木
彦三郎の秘書を11年間やった。
秘書時代の菅は、どんなに難しい陳情でも
諦めることなく一生懸命にやった。
何足も靴を履き潰して歩き回った。
菅は秘書を辞めたその日から、ひとりで横浜市
西区の家々を一軒一軒まわり始めた。
一日200軒、横浜市議の選挙までに3万軒を
まわり、6足の靴をダメにした。
衆議院議員になった菅は、梶山静六の総裁選、
加藤の乱の2つの政局を体験し、政治家と
して鍛えられたという。
多くの自民党の政治家が、口だけで実際に
決断せずに、派閥の言うことに唯々諾々
と従うさまを見ていた。
小泉内閣で総務副大臣になった菅は、竹中
平蔵総務大臣の要望を受けて、複雑な
総務省内部の把握や国会対策などに尽力した。
竹中は、菅を非常に頼りにした。
菅官房長官の利点は、「余計なことを
言わない」ところにある。
なにより発言に無駄がない。
官房長官の元には霞ヶ関の各役所から
さまざまな情報が集まる。
菅はすべてを知っていながら、ここ一番
で抑える術を知っている。
呑み込んでいながら、全部吐き出す
わけではない。
菅の緩急のつけ方には絶妙な
感覚が見て取れる。
官房長官の一日。菅義偉官房長官の朝は早い。
朝5時過ぎに起きて、1時間かけて新聞各紙に
目を通し、6時半からのNHKニュースを見る。
重要項目のテロップを見て、世の中の流れ、
問題を再認識し、毎日の午前と午後の
記者会見に備える。
朝7時過ぎには、政治家、役所、経済界、
マスコミ、金融などの専門家と朝食を
ともにして、生の声を聞くこと
から1日がスタートする。
また議員会館で20~30分間、地元の対応や
日程を整理してから官邸に入る。
夕方、官邸での仕事が終われば、夜の会合に
最低2ヶ所、日によっては3ヶ所、顔を出す。
菅は酒を飲まないが、酒の席はまったく
苦にならない。
番記者から見た菅は、「記者を大事にする
政治家」といわれる。
赤坂の議員宿舎での夜回りの間は政治家も
記者も立ったままだ。
ある番記者はいう。「菅さんの発言には正直
言って、中身が伴わないこともある。
録音したテープを起こしてみたら、内容が
濃くないこともある。
ただ、嫌な顔はせずに毎日話してくれる。
メモを作って上司に上げたとき、『あ、
こいつは仕事してきたな』と思わせる
くらいのことはしゃべってくれる」
番記者は、こうも話している。「菅さんは
真昼間、珈琲とお茶で腹を割って話せる。
これは政治家としての武器だ。
永田町には酒を酌み交わしながら信頼関係
をつくる文化がある。
菅さんにはこれが当てはまらない。
朝食だろうが、昼食だろうが、酒席だろうが、
関係ない。
菅さんにとっては朝がもうすでに夜なんだろう」
菅には際立った特徴がある。「人の話を
たくさん聞く」ことだ。
財官学各界の専門家の話に耳を傾ける。
朝食や昼食、酒席といった場でじっくりとだ。
名前のある権威ある有識者ばかりではない。
番記者の友人でもある若手ビジネス
パーソンと会うことも厭わない。
彼はこれだけ多くの専門的な知見に触れながら、
素人感覚を持ち続けている。
永田町では古くから「自称政策通」こそが
得意分野をきっかけにつまずいてきた。
菅は恐らくこのことに気付いている。
ある分野にどれだけ詳しくなっても、決して
「俺は知っている」という顔はしない。
愚直なまでにその道の専門家、
当事者の話を聞く。
空気感を見る。
世論調査の数字もバカにせず、詳細に検討する。
その上で判断、決断に至る。
菅はこうした作業を意図的に積み重ねている。
「政治勘」を鈍らせないための
努力を常に怠らない。
「霞ヶ関の全省庁には、本音で話せる官僚が
それぞれいる」菅はときどきそう口にしている。
それらの役人とは頻繁に接触を繰り
返しているようだ。
番記者が知っているのは「鉄道通」
としての横顔だ。
「総理と官房長官は一日一回は会わないと
うまくいかない」菅はそう公言している。
菅官房長官は、経済財政諮問会議や産業競争力
会議のなかでは、それほど発言はしないという。
だか、その代わり、うまい仕上げができる
ように必ずどこかで動いていることが多い。
官僚とも多くの太いパイプを持ちながら、
しっかり手綱を握っている。
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今回も最後までお読みくださり、ありがとう
ございました。 感謝!