多くの尊い命を救ったことは間違いない事実だろう 第 3,008 号

時は幕末。
紀伊半島を襲った巨大地震と津波から村を救い、
藩や国のため多分野で獅子奮迅の働きを見せた
実業家がいました。

ヤマサ醤油七代目・濱口梧陵です。

『致知』最新号にて、
防災や国防に精通し、梧陵の顕彰にも
尽力する濱口和久氏に、和やかな元日に突如、
能登地方を襲った震災の教訓を交え、この国難
の時代を生きる道標を示していただきました。

その記事の一部をご紹介いたします。


………………………………………………

我が国は目下、南海トラフ巨大地震や
首都直下型地震をはじめ富士山の噴火、
また北朝鮮の弾道ミサイル発射、
中国の東シナ海での軍事挑発、台湾有事……
と内外に深刻なリスクを抱えている。この国難

の時代にあって、取り上げたい人物がいる。

ヤマサ醤油七代目社長にして、
初代駅逓頭(郵政大臣)や
和歌山県初代県議会議長を務めた
濱口梧陵である。

遡ること百七十年、
安政元(一八五四)年十一月五日夕刻、
紀伊半島沖を震源とし、マグニチュード
推定八・二の「安政南海地震」が発生。

この大地震の際、紀伊国有田郡広村
(現在の和歌山県広川町)で
実際にあった出来事を基にした
『稲むらの火』という逸話がある。

戦前の国定教科書や
ラフカディオ・ハーンの小説にも紹介された
この話の主人公が梧陵だ。

一例として、戦前の教科書の記載を
要約して簡単にご紹介する。


過去に経験したことのない揺れ、
唸るような地鳴りを感じた梧陵は
「これはただ事ではない」と家を出る。

庭から村を見下ろすと、村民は皆
豊年を祝う宵祭りの支度に心を取られ、
全く気づいていない。

ふと海へ目を移すと、
風と逆向きに引いていく波が見え、
海岸には広い砂原、黒い岩底が現れている。


津波がやって来る。

そう考えた梧陵は直ただちに松明に火をつけ、
家に保管していた刈り取ったばかりの稲を
束ねた稲むらに次々と着火。

それに気づいた村の人々が集まってきた後、
凄まじい津波が村を呑み込んだ……。


当時の記録やハーンの小説とは相違が多い
ものの、梧陵がいち早く有事を察知し、
咄嗟の判断で刈り取ったばかりの
大切な稲むらに火をつけ、多くの尊い命を
救ったことは間違いない事実だろう。

(この続きは本誌をご覧ください)


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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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