大事な話は耳鳴りがするほど聴け 第 2,991 号

一大事とは今日只今の心なり。

江戸期の禅僧・正受老人の言葉です。

とかく過去や未来に目を奪われ、
大切な足元を疎かにしてしまいがちな
我われ凡夫への尊い戒めといえるでしょう。

この名句と同様に、作家として、尼僧として、
それぞれの立場から人々に多くの示唆を
与えてきたのが五木寛之氏と青山俊董氏です。

共に90代の坂に差しかかったお二人は、
人生の大事をどう捉え、
いまをどう生きておられるのでしょうか。

『致知』2024年1月号の対談記事より、
青谷俊董氏のお話をご紹介いたします。


………………………………………………
大事な話は
耳鳴りがするほど聴け
………………………………………………

澤木興道老師も、
「大事な話は耳鳴りがするほど聴け」
「毎回初めて聞く思いで」
とおっしゃっていました。

ところが先ほど申し上げたように、聴く側の
受け皿が小さければ、その分しか聴けません。

ですから半年経ったら「あの受け止め方は違って
いた」、一年経ったら「まだまだ浅かったな」と
理解を深めていけるように
成長していかなければならんと思うんですよ。

余語翠巖老師という方は、
短いことをひと言おっしゃって、
説明なさらないんです。

例えば、庭の梅を愛でながら
茶話を楽しんでいる最中にポツリ、
「『梅早春に開く』ではなく、
『梅早春を開く』でしょうな」と。

『正法眼蔵』の「春開早春」のことを
おっしゃっているんですけれども、
私はそこまで深く読み込んでおりませんでした。


私も余語老師のひと言を聴いてから三、四回
「あ、違っていたな」「あ、違っていたな」
と自分の中で受け止め方を改めてきました。

いまでは、梅はこの天地間の一切の存在であり、
早春は生命の根源であるところの仏性。
私ども一人ひとり、一木一草に至るまで、
仏性の展開として現れた存在であることを
忘れてはならない、と受け止めています。

聴くほうばかりでなく、しゃべるほうでも
成長していかなければならんと思っていますから、
もうよい年をして六十年も尼僧堂で
指導を続けておるのですが、話す内容も
やっぱりどんどん変わってきていますね。

年を重ね、ここ数年は立て続けに病気をしました
から、この頃は遺言のつもりで語りかけて
おります。これが最後になるかもしれないな、
という思いがいつもどこかにあるんです。
ありがたいことだと思っております。



※『致知』1月号では、
 以下のような内容について、
 10ページ分にわたる記事が掲載されています。

・聖人の行く所はすべて楽土となる
・大事な話は耳鳴りがするほど聴け
・定法なきところに大法あり
・悟りを開いた後も再び俗世に身を投じて
・病気のおかげでどうにか一人前になれた
・生かされている自分を自覚する


※記事の詳細について詳しくはこちら
https://www.chichi.co.jp/info/chichi/pickup_article/2023/202401_ituki_aoyama/

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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