外出自粛や在宅勤務の影響を受け、
家族と過ごす時間がぐっと
増えたという方も多いでしょう。
本来は嬉しいはずのその時間ですが、
身近な存在だけに時に感情的に対立したり、
辛いことや嫌なことをお互いにぶつけ合って
後悔することもあったかもしれません。
「家族」をテーマにシスター・鈴木秀子さんが
語ったエッセイをお届けいたします。
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〈鈴木〉
先日、あるグループの仲間と観劇に行く機会が
ありました。劇場までの道すがら、車を運転
していた男性が自分の小さい頃の体験を話して
くれました。
その方は裕福な家庭に生まれ、下には愛する弟
と妹がいました。弟が突然進行性の
難聴と診断されたのは4歳の時でした、
驚いた両親は日本中駆けめぐって
名医と呼ばれる人のもとを訪ね歩きました。
しかし、病気は悪化する一方で、長い闘病生活
の末に20代前半で亡くなってしまうのです。
家族はいたく落胆し、家庭内も長い間、
重苦しい雰囲気に包まれていました。
そのストレスが一つの原因だったのでしょうか、
今度は妹が乳がんを発病しました。
家族皆が妹の回復のために一所懸命協力し、
支え合いましたが、病に打ち勝つことはできず、
やはり20代の若さでこの世を去ってしまいます。
両親は2人の回復を心から祈り、
自分たちがやれることは
すべてやってきたに違いありません。
弟が倒れた時は弟に、妹が倒れた時は妹に、
ありったけの愛情を注ぎ続けたことでしょう。
一方で、男性に対してはかまってあげるだけの
余裕はありませんでした。
本当なら寂しさのあまり両親に反抗したとして
も不思議ではなかったと思います。
しかし、子供のために必死に生きる両親の姿を
間近に見ていると、きょうだいに対する嫉妬心
は少しも感じることなく、反対に「親という
ものは、これほどまでに子供のことを思う
ものなのか」という深い感情が込み上げて
きたというのです。
妹が亡くなる前、家族に対して
「お父さん、お母さん、お兄ちゃんありがとう。
これまでとても幸せな人生でした」と語るのを
聞いて、そのことを一層強く実感したといいます。
男性は30年前の辛かった出来事を語るうちに、
薄れかけてきた記憶が次々に
甦ってくるのを感じた様子でした。
しみじみと当時を振り返りながら、
最後にはこのように話をまとめました。
「あの時、両親がどれほどまでに辛い思いを
したか。私も子供を持つ身になって、
その気持ちがよく分かるようになりました。
きっと我が身に代えてでも子供を治したかった、
助けてあげたかったに違いありません。
私も生きていく上ではいろいろな辛い出来事を
体験しますが、それを一つひとつ乗り越えて
生きていけるのは、どんなに苦しくても子供
たちに愛情を注ぎ続けた両親の必死な姿を
見て育ったからです。そのことを改めて
いま感じています」
辛いお話でしたから、男性と別れた後、
私は一人、家族の幸福のためにお祈りを
捧げました。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!