子供というのは限りない可能性を持っています = 2-2 = 第 2,762 号

私は茫然自失です。父親が涙ながらに言います。


「知らせようと思ったんだが、母ちゃんが、
 太郎は試験の最中だ、
 試験が終わるまで知らせないでくれ」

と言ったから、お葬式を済ませてしまった。
母ちゃんは死ぬ間際までお前の写真を
床の桟のところに置いて眺めていたよ」


十五歳の私は涙が止まりませんでした。

その時、私は神社の大きな欅を眺め、
ぼろぼろ泣きながら決心をしました。

親の死に目に会えなかった私の無念さもさる
ことながら、息子に会えなかった母ちゃんの
思いはどんなにかつらかったことだろう。

もう、その母ちゃんに親孝行はできない。
親孝行するとすれば、母ちゃんが案じてくれた
自分の成績を良くする以外にない。

こういうふうに決心したのです。


寮に帰って猛勉強が始まりました。

寝る時間は三時間くらいでしたから、
体重がどんどん減りました。減ると同時に
成績がじわじわと上がっていきました。


三年の三学期の時に先生の所へ行って

「僕の成績はどのくらいでしたか」

とそっと聞きました。

受け持ちの先生がにやっと笑って、

「三輪、お前は何番くらいになったと思う」

と言うので

「二十五番くらいでしょうかね」

と言いましたら、先生が

「お前が一番だよ」

と言います。

私はその通知簿を母の位牌の前に供えて
「母ちゃん、一番がとれたよ」と泣きながら
報告しました。

師範学校を卒業する時、私が一番になったと
知っている人は仲間にはいませんでした。

卒業式に「優等生、三輪太郎」と
校長先生が呼び上げた時は、
友達が皆びっくりしました。

あんなできの悪い奴が一番だなんて信じられ
ない、と言われました。

私は自慢話をしているのではありません。

子供というのは限りない可能性を持っています。
その可能性に火をつけさえすれば、
子供は大人が想像もできない
素晴らしい力を発揮するのです

私の場合は母の死が、私の可能性に火をつけた

のです。

致知出版社の人間力メルマガ

  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

スポンサードリンク

♥こちら噂の話題満載情報♥

ぜひ、いいね!を「ぽちっ」とお願いします

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください