人生を振り返りつつ、「自分たちは父
から何を学び、それをいかに子供
たちに継承しているか。
家庭教育における父親の役割とは
何か」について語り合った。
男親にしか伝えられない愛情がある。
世論に一石を投じてきた両論客
が本音で語る痛快対談。
父親が私に叩き込んでくれたのは、ひと
ことで言えばダンディズムである。
これは武士道の精神とも
騎士道の精神とも通ずる。
俗に言えばやせがまんの
精神とも言える。
物心ついたころから私は卑怯なことだけ
はしてはいけないと心得てきた。
負けたら勝者を賞讃する精神を
持ちたいと望んできた。
私は父親を振り返って、じつに多くの
ことを学んだと思うのだが、ダンデ
ィズムを教えるには自らが常に
ダンディでなければならない。
日本の社会に気品が失せたのは男がダンデ
ィズムの精神を失ったからではないのか。
世の中の尺度からすると、私の親父と
いうのはとてつもなく「外れて
いる人間」なんです。
いわゆる薩摩隼人で、とにかく度胸の
よさにかけては、私なんかまったく
及ぶところじゃない。
ただ、一高を表裏やったおかげで、
友だちの数がやたら多い。
それものちに偉くなった人ばかり。
駐米大使から最高裁の判事になられた
下田武三さんとか、対外経済担当相
を務めた牛場信彦さん、一番長く
親しくしていたのは福田赳夫元首相です。
親父は「卑怯なことはするな」
と、いつも言っていました。
そして、「何が卑怯かという
のは、自分で考えろ」と。
古い言葉だけれども、彼はダンディと
いうことを頻りに言うんです。
「男というのはダンディじゃ
なきゃいけない」と。
私が経済的に楽になったのは、特派員と
してジュネーブに行ったころなんです。
当時、親父が病気になったときに
ボーナスを送った覚えがあります。
それまではたかる一方だったもので、
ずっと心にわだかまりがあって、い
つかお返ししようと思ってはいたんです。
私の親父はフランス語ができたんですよ。
昔の一高はすごいなと思ったんですが、
「小公子」という本があるでしょう。
その「小公子」の何十ページ分を
丸暗記しているんです。
酒を飲んで酔っぱらうと、それを
ペラペラと語りだすわけですよ。
家庭での躾は四歳まで。
労働争議で紛糾している会社に親父が
送り込まれたとき、そこの労働組合
の連中が四人ほどうちへ来たこと
があって、その連中がわけの
わからないことで難癖つける。
私の親父というのは居合抜きの名人
だったので、「よし、お前ら全部
ぶった切ってやる」と、バーッ
と刀を抜いて、振り回すんですよ。
ほんとに鼻先三センチぐらいのところで。
四人とも、だんだん後ずさりして行って、
とうとう床の間の一畳のなかに四人
とも入っちゃって、「お前らが出
てきたら、俺はぶった切る」と、
それはすごい迫力ですよ。
結局彼ら、そこで「参りました」
と言うんです。
それを見たとき、これが最高学府を出た
人間のやり方かと呆れましたよ(笑)。
うちは私だけは木戸御免で、小さいとき
からどんな重要な人が来ても、私は
その場に入ることができたんです。
その代わり黙って座っていろと。
「大人の話を聞いて、お前はいくらか
利口になるはずだ」と言って、
話を全部聞かせていた。
私は五歳からのことはだい
たい覚えています。
そうすると、四歳までにだいたい
躾けられているんですね。
これはやってはいけないとか。
屋山太郎『父は子に何が
できるか:われらが体験的教育論』
の詳細,amazon購入はこちら↓
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝