近世の武士社会にあって、江戸とは異なる
大都市のざわめきの中で暮らす人々の生気
溢れる姿を、その歴史に捉える。
豊臣秀吉の城下町として誕生した大坂は、
江戸時代、「日本国の賄所と云、また
台所ともいへり」と称される全国の
物資集散の地として繁栄を誇った。
「商人は神のごとし」といわれるほどその
富力が大名をも凌ぐ大商人、日用雑貨や
魚・野菜を振り売りする小商人、ある
いは職人が主役となって躍動する
大都市であった。
大坂の繁栄の基礎は、米商いである。
大坂三郷の食品流通ルートは、仲買や問屋・
仲間を基軸に組み立てられていた。野菜は
天満(てんま)青物市場に集められ、
八百屋問屋の手を経て三郷に供給されていた。
同様に鮮魚は雑魚場(ざこば)魚市場を経て、
また米は堂島(どうじま)米市場から米仲買
の手によって市中に供給されていたのである。
大坂には米や野菜や魚、あるいは日常の必需品
を提供する、三大市場を基軸にした流通ルート
とそれ以外の職商人らの流通ルートがあっ
たようである。
近世の大坂はただ金儲けの商人たちだけの町
ではなく、文化・文芸の香り高い町でもあった。
商人の顔と文化人の顔を使い分け、ここに
経済的実力に裏付けられた大坂町人の気
質と、自治意識が現れるようである。
商人と文化人の顔を使い分ける大阪商人。
政治的に無関心であるようにみえながら、
実は政治の根幹をなす経済をしっかり
押さえている。
また儲けた金を文化・芸術に費やし、
文化的素養を身につけ、利益を追求
する商人の感覚からすればずい
ぶん無駄なことをやっている
が、将来には採算はきっち
りと合わせるのが大坂の
商人であり、町人である。
大坂商人は意図的に、家を守り店を守るため
の家訓や店則を作成するようになった。それ
は新興町人と呼ばれる住友や鴻池など近世
的な商業流通網に対応した経営形態を
備えた商人たちである。
才覚と始末、倹約と質素、利殖のうまさ、
合理的な経営など、大坂商人の特色は、
淀屋の闕所を契機とする家訓の制定
からのこととされる。
渡辺 忠司 (著)『町人の都、大坂物語。
商都の風俗と歴史』
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ありがとうございました。感謝!