製粉や乾麺製造・販売で群馬県内を代表する
星野物産グループを築き上げた星野精助氏。
その星野氏が、いまから約30年前の
『致知』に登場してくださった際の
心に残るお話をご紹介します。
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「向こう一年間、小言を言ってはならない」
星野精助(星野物産会長)
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母は、一燈園の教えを受けて
「感謝の生活」というものを知り、
また「無一物中無尽蔵」という言葉も
覚えたようでした。
子供心にいまも強い印象で
残っていることがあるんですよ。
当時、家には三、四十人ほどの従業員が
おりました。
普通なら、風呂などは、まず家族の者が先に
入り、その後で雇人が入るものです。
それを母は、
「働いてくれている人がいるから
生活できるんですよ」と言って、
私たち母子は一番最後に
風呂に入ることになっていました。
風呂には垢がいっぱい浮いていて、
子供ですから、汚いなあと思っていましたよ。
それを母は、
「この垢が、きょう一日働いた宝だよ」と私に
言って、垢を取り除き、感謝しながら入るんです。
もう一つ、私が経営者として、
大きな転機を迎えた事件でも、
母は私に深い愛情を示してくれました。
昭和二十八年、私は当時のお金で
千二百万円の不渡り手形を掴んでしまいました。
いまのお金にすれば優に十億円は超えるでしょう。
どんなに怒られるかと思いましたよ。
ところが、母は怒る父を制しまして、
「今度、千二百万円ほど損するそうだね。
お父さんと私のせいで、
お前を大学に行かせてやれず、
常々すまないと思っていた。
一千二百万円の損は一生忘れないだろうし、
この体験を生かすことは、
社会大学を卒業したようなものだから、
お赤飯でも炊いてお祝いしましょう」
と。さらに父には、
「向こう一年間、精助に決して
小言を言ってくださるな」
と言い、私の家内にも、
「あなたも亭主の前で、このことについて
愚痴を言ってはいけませんよ」
と言い含めてくれたのです。
さすがに赤飯は炊きませんでしたが、
父も怒るに怒れず、妻も愚痴を言うことが
できなくなってしまったのでした。
経営の実際は、貧すれば鈍するでしてね。
翌年には脱税で重加算税を受け、
経営の危機に瀕し、銀行・仕入先などの
信用も失墜してしまいました。
結局、金銭的には家産を処分して
切り抜けるしかなかったのですが、
経営不安から次々と労働組合が誕生、
近代経営の脱皮にさらに苦しむことになります。
それだけに、この時期、一年間、小言を
言わないというお墨付きをもらったことが、
どんなに私を勇気付けたことか、
言葉に言い尽くせません。
『致知』1995年1月号より
※肩書は『致知』掲載当時
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!