文学博士・鈴木秀子先生の「人生を照らす
言葉」は『致知』の人気連載の一つです。
毎回、古今東西の様々な文学作品をテーマに
そこから私たちは何を学ぶべきかを伝えて
くださっています。
最新号の1月号で取り上げられたのは芥川龍之介
の「魔術」。本日は、その作品を読み解く中で
述べられたあるご夫婦話を紹介します。
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(鈴木)
私たちが生きていくことは一見、当たり前のよう
に思えますが、何気ない出来事でもそこに心を
留めて気づきを深めていけば、大切な知恵を
得ることができます。
反対に欲に振り回されていると、何気ない
出来事の中に秘められた知恵に気づくことなく、
生きることの意味を見失ってしまいます。
日常から得られる知恵は、
人をアッと言わせる魔術よりも
ずっと素晴らしく尊いものなのです。
最近、一人の中年の女性から長文のお手紙を
いただきました。その方は離れた場所に住む
お母様を、少し前に亡くされたのですが、
お父様が「妻にああしてあげればよかった、
こうしてあげればよかった。
自分は生きている価値がない」
と悔やんでばかりいて、
それを聞くとお父様を支えようという
気力すらなくなるという内容です。
手紙の最後には「父親はすべてを否定的に考え、
いくら励ましても耳に入らない。このままだと
夫や子供との関係まで駄目になってしまうから、
まず自分の家族を大切にすることを考えたい」
と書かれていました。
私はその決断に賛成ですが、
彼女によるとお父様はお母様が元気な頃から、
「ありがとう」「よかったね」という
ポジティブな言葉を口にする習慣がなく、
自分を世話してくれる人がいなくなったいま、
すべてが否定的な言葉に変わったというのです。
当たり前であることの素晴らしさや価値は、
それを失って初めて気づくといわれています。
当たり前であるそのこと自体が、
大変な奇跡なのです。
そうであるとしたならば、
元気な時から相手のいい面を見つけて、
温かい言葉をかける訓練が大切になってきます。
少し照れくさく感じるとしても、
その訓練を続けることは
その人の人生を豊かに導いてくれます。
もちろん人間ですから、時には激しく怒りたく
なる時や落ち込む時もあるでしょう。
それでも「自分なんか駄目」という
マイナスの感情に心を奪われることなく、
その体験の中にある意味やプラスの要素を
感じ取っていくことです。
私たちの人生で、意味のない出来事は何一つと
してありません。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!