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船橋 康貴(ハニーファーム代表理事)
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養蜂家として世界一のハチミツをつく
ると評判の船橋さんは、もともとは
シンクタンクの社長でした。
なぜ社長から養蜂家へと転身
されたのでしょうか?
──養蜂家としての活動は何年
くらい経つのでしょうか?
今年で7年目になりますが、それ以前
は環境シンクタンクの社長でした。
環境問題を突きつめてやってきた人間が、
養蜂家になったのは世界中を探しても
おそらく僕くらいだと思います。
51歳を境にそれまで築いた地位や名誉、
財産すべてを擲って、つなぎ姿で日の
出とともに仕事場に向かう生活と
なり、収入なんてそれまでの
20分の1になりましたからね。
──なぜそれでも養蜂家の道を
選ばれたのでしょうか。
ある環境問題の講演後に若い女の子が
僕の前に来て、「先生、私たち、子供
を産まないほうがいいですよね」
って話し掛けてきたんです。
彼女には未来への希望の代わりに絶望し
かなく、「こんなに生きづらい世の中
で、しかも環境までめちゃめちゃ
なのに、これから子供を産み
出すってことは、その子
に苦労を強いることですよね」って。
それも一人じゃなく、何人か
に言われました。
同じ時期に中学2年生の女の子が、環境
問題についてインタビューをしたいと
訪ねてきたことがありましてね。
環境問題って、結局は人間の話になるん
ですけど、話の途中でその子が急に泣
きじゃくりながら、「船橋さん、生
きるって何ですか? 人生って
何ですか?私の周りの友達
がみんな下を向いて病気になっていきます。
私たちを助けてください」って
叫ぶように訴えてきたんです。
──では、そういった切実な声が
後押しになったわけですね。
彼女たちの言霊の剣が、僕の
胸をズボッと貫いた。
自分の無力さを感じるとともに、もう
シンクタンクの社長はやっていられ
ない、そう思ったんです。
その直後に、たまたま知人に誘われたの
がきっかけである養蜂家を訪ねました。
実際にミツバチを見たり、75歳の養蜂家
にミツバチが危機的状況に置かれている
ことなど聞いているうちに、僕は稲妻
に打たれたような感覚に襲われて、
ハッと気づいたんです。
そうか、ミツバチを先生にして教えて
もらったら、きっとすべてが解決
するだろうって。
51歳で養蜂家に転身した船橋さんです
が、なかなかハチミツは売れません。
一念発起でヨーロッパに飛んだ船橋
さんを待っていた出来事とは?
「パリの奇跡」の物語が面白い!
●ホームページもぜひ見てください!
⇒ http://urx.red/KkzR
『致知』2018年7月号
特集「人間の花」P48
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝