おとぎ話ではない。目前の出来事である。
河童や座敷童などのイメージから
牧歌的な民話として受け取られ
がちな『遠野物語』。
しかし実際は現実世界を生きる人間たち
の生々しい姿が活写された古典である。
初版は明治三陸大津波
から14年後の1910年。
震災の爪痕も含めて柳田が採録した
日本の古層の記憶を、今再び
読み返す意味を探る。
遠野物語は、柳田国男が岩手県遠野
について佐々木喜善から聞いた
話をもとに書いた。
感じるままに書いた。
柳田が主体的に聞いて、主体的に書いた。
遠野郷には、弥生文化と
縄文文化が残っていた。
平地人とは、狩猟民を追い
やった稲作民のこと。
この物語は平地人へのメッセージ
が込められている。
合理的ではないものを
都会の人に伝えたかった。
「負の遺産」がある。
それが遠野物語のポイント。
遠野物語では、「死」が身近。
生と死があいまい。
死は怖くない、死は親しみ。
遠野の死生観があらわれている。
「神隠し」という言葉には優しさがある。
→「千の風になって」という歌
にも通じるものがある。
魂の行方について書かれている。
生、老、死が近く、循環している世界。
それが遠野物語。
自然との共生の思想がある。
時代がゆらぎはじめたころに、
宮沢賢治や遠野物語がでてきた。
恐怖と笑いは隣り合わせ。
遠野物語は、悲しい話が多い
が笑いの話も少しある。
悲しみを乗り越えていくには笑いが必要。
自然との共生。
自然にはかなわないことがある。
自然と動物とのバランスが大事。
柳田は上からの改革ではなく、むかし
からいる常民を理解しないと、改革
はうまくいかないと伝えたかった。
心の中に眠っているわれわれ日本人
の記憶をよみがえらしてくれる
のが遠野物語。
柳田は遠野の人たちの
物語から普遍性をみた。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝