岸は満州では金には不自由しなかった。
高級料亭に繰り出すだけでなく、部下
にも気前よく小遣いを配った。
岸くらいの高級官僚だと、公的に認め
られた工作費や交際費もあり、相当
の金が自由になった。
岸は39歳から42歳まで、まる
三年間を満州で過ごした。
若くして植民地経営の根幹に関わった。
自分でシナリオを書き、
実行に移していった。
もともと一官僚に留まらない才能と
手腕を身につけていたが、満州
でさらに磨きがかかった。
岸は42歳である。
だが3年間、満州で植民地経営の指揮を
執り、国家運営の実地訓練を積んだ。
実際に権力を握り、自ら行使する。
豊富な機密費を自由に
使って人を動かす。
軍人との付き合い方を会得し、
軍部に人脈を得る。
そうやって白紙に絵筆を使うように
自在に腕を振るい、満州国という
「作品」を描き上げた。
戦後、民主党と自由党の保守合同では
岸は、三木武吉の補佐役に徹した。
三木は大業の仕掛けは得意だが、
デスクワークはこなせない。
岸は実務処理の面では官僚時代
から卓越した能力がある。
三木にできない社会党対策や
財界工作なども引き受けた。
正式な協議が始まり、岸の出番がきた。
三木は新党の組織、綱領、政策、資金
調達システム、選挙態勢など
は岸任せにした。
岸の気分転換は人一倍、早い。
敗北感を長く引きずるタイプではない。
岸をよく知る人たちの人物評を聞くと、
「決断が早く行動的、世話好きで面
倒見がよく、生き方は男性的」
という声が圧倒的である。
政治路線も一見したところ、
きわめて明快で直線的に映る。
彼は目標達成を徹底して追求する強固
な意志を持ちながらも、ゴールに至る
コースは決して直線型ではなく、
二重三重の仕掛けがいつ
も用意していた。
情報のチャンネルは無数にあり、
発想もマルチタイプである。
臨機応変、変幻自在、融通無碍が
むしろ本質と指摘する人もいた。
著者(塩田潮)は1946年、高知県吾川郡
伊野町に生まれる。慶応義塾大学
法学部政治学科卒業。
雑誌編集者、雑誌記者などを経て、現在、
ノンフィクション作家・評論家。
『霞が関が震えた日』(講談社文庫)で
第5回講談社ノンフィクション賞受賞
(本データはこの書籍が刊行された
当時に掲載されていたものです)
塩田潮『昭和の怪物・岸信介の真実』
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝