生物学的な見地から人間教育のあり方を研究して
こられた九州大学名誉教授の井口潔先生がお亡く
なりになりました。享年99でした。
井口先生には『致知』に3回ご登場いただき、
古典の素読をはじめとする日本の伝統教育の
素晴らしさなどをお話しくださいました。
本日は、先生のご遺徳を偲びながら、2019年
9月号の対談記事の一部をご紹介いたします。
対談のお相手は「博多の歴女」として知られる
ことほぎ代表・白駒妃登美さんです。
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(井口)
人間の赤ん坊は、「類人猿の体に巨大脳
をつけた生物(ヒト)である」
というのが私の考えです。
その脳のニューロン回路は3歳頃までに大人の
80%くらい、10歳頃までにほぼ大人の状態に
近づくのですが、その時にヒトから人間に
なるわけです。
体の仕組みは生まれた時から大人とほとんど同じ
なのに、心は約10年間、大人から教育を受けて
人間になるようつくられているんですね。
私は12年前、そのことにようやく気づいたのです
が、このことを「ヒトの心は約10年の生理的
早産」と言っています。
(白駒)
生まれてから10年間の教育が、いかに大事
かが分かります。
(井口)
実はその秘密をパッと把握していたのが
江戸時代の伝統教育なんです。
子供たちは6歳から藩校や寺子屋に通い、
「意味は分からなくてもいい。いまに分かる」
という師匠の指導のもとで、
『小学』や『論語』『大学』といった
優れた古典を繰り返し繰り返し素読しました。
まさに読書尚友で、古人の教えを
しっかりと体に浸透させていったんですね。
これは医学的には「パターン認識」と言われる
ものです。幼年期に教えられた道徳的な教えは、
このパターン認識によって感性脳(魂)に記憶
され、その人の人格形成に影響を与えていきます。
青年期になって道徳教育を始めても
論理的に知性脳に認識されるばかりで、
処世術で終わってしまうことが多いんです。
理由はどうあれ、10歳までに善悪や正邪の区別、
人間として恥ずかしいことなど、
人間としてあるべき姿を躾ける。
そのことで自己抑制力が身についていく。
先人たちは図らずもそのことが分かっていたの
だと思います。
(白駒)
そういえば、井口先生からは素読と音読とは違う
んだ、素読とは、学校の教科書を音読するのとは
違って古典の名文であることが大切なんだ、
と教えていただいたことがあります。
教材そのものが道徳的学びとなっている名文を、
師匠の声に続いて大きな声を出して読むことで
聴覚も視覚も五感がフル稼働するわけですから、
感性を育む上で素読はとても有効な方法では
ないかという先生のお考えに、私も全く同感
です。
(井口)
いわゆる「ゆとり教育」の趣旨は詰め込み主義を
やめて、子供が自ら学ぶ能動的学習を目指した
ものです。
しかし、幼少期の子供たちの脳はそのような
構造にはなっていません。論理的思考ができる
のは10歳から15歳にかけてであり、
幼い子供たちに学習することの意味を
十分に考えさせるといったこと自体が
ナンセンスだと言うべきでしょう。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!