食文化、モノづくり、日本語、和の心、エコ―
あらゆる日本文化に好意が寄せられている。
それなのに自分の国を愛せなくなった
のはあまりにも悲しい。
日本のポップカルチャーの先駆者は「浮世絵」。
漫画・アニメは世界に向かって開かれた
日本文化の入り口。
子供時代に接する文学や映像が、人格形成に決定的
な影響を及ぼすことに疑いの余地はない。
日本の漫画・アニメが世界の子供たちに与える影響の
大きさは、想像を絶するものがある。
東京は世界一の美食都市。ミシュランガイド東京版で
最も衝撃を受けたのは、欧州だった。星付きの店
の数は、東京版(2008年度)が150軒で、
パリの74軒の2倍だったからだ。
総星数でも東京が他を圧倒したからだ。
食前感謝と食後感謝は、人が人として生きる上で、
大自然、食材、生産者、料理人などに感謝
する美しい日本人の作法である。
世界中の旅券の中で、日本旅券(パスポート)が
最も高い値段で売れるというのだ。(もちろん違法)
日本旅券は、ビザなしで入国できる国の数がいちばん
多く、またビザを最も簡単に取得できることが
その理由らしい。日本旅券の所持者は世界
の国々から歓迎され、また信頼されている。
軍艦沈没で育まれたトルコとの友好は有名。和歌山県
沖で沈没したオスマントルコ軍艦「エルトゥー
ルル号」の遭難事件は、トルコの教科書
に必ず紹介される。
1890年、トルコの使節団は、宮中で歓待を受け、明治
天皇にオスマントルコ皇帝からの親書と勲章を献上
した後、本国を目指した。紀伊熊野灘に差し
かかったエルトゥールル号は、台風の
中心に入り込み、座礁、沈没した。
生還したのは69名のみで、特使の提督をはじめ約500名
の命が失われた。遭難を知った地元住民は、夜を
徹して生存者の救助と手当てに尽力。
多くの村民たちが生存者を看病した。紀伊大島は貧しい
島で、島民は食べるものにも困る状況だったが、
非常食として飼っていたニワトリなどの
食料を遭難者たちに分け与えた。
その後、軍艦2隻をオスマントルコに
派遣し、生存者たちを母国に送還した。
遭難事件から95年後、イラン・イラク戦争の最中、各国
は軍用機や民間機チャーター便を派遣してイランに
駐在する自国民の保護に努めた。
日本は自衛隊を海外派遣できない上、日航に救援機の
派遣を求めるも同社の組合が反対したため、日本人
を保護できない事態に陥った。イラン駐在の
野村豊大使は、在イラン・トルコ大使の
ビルセル氏に相談したところ、トル
コが救援機を派遣して救出してくれることになった。
トルコ大使は「トルコ人なら誰でもエルトゥールル号
遭難事件の際に受けた恩義を知っています。ご恩
返しをさせていただきましょう」と語ったという。
そして、トルコ航空の2機がテヘランに派遣され、
215人の日本人は全員救出された。
救援機の派遣を決めたトルコのオザル首相(当時)
は、他国民を助けるために、自国民を危険
にさらす決断をしたのだ。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!