『致知』2月号(最新号)でひときわ
大きな感動を呼んでいる記事があります。
カトリック長崎大司教区司祭・古巣馨さんの
「愛と祈りと報恩に生きて」です。
古巣さんは神父として、長年、名もなき市井の
人たちの苦しみや悲しみに静かに寄り添って
こられました。
この記事には、そのいくつかの感動的な体験が
紹介されています。読まれた方からは
「電車の中で読んでいて、涙を堪えるのが必死
だった」という声も寄せられています、
ここで紹介するのは、その記事の一部です。
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(古巣)
私が神父になったのは昭和56年、26歳の時です。
カトリックの神父は生涯独身を貫くことを神に
誓います。
還俗し家庭を持つ学生時代の友人も少なくない中、
自ら望んで神父への道を進み始めたわけではない
私は、このまま進んでよいのかと苦悩しました。
24歳の時、神父への道を断念しようと決めた私は、
長崎県五島列島の奈留島の神父に報告するために
帰省しました。
そして、神父のいる司祭館に入ろうとした
その時でした。喪服を着た高齢の女性が突然、
私に声をかけてきたのです。
「馨君、いろいろ悩みはあるかもしれんけど、
私たちみたいに世間から相手にされん人たち
の傍にいてくれんね」
この女性は昨日、息子の葬儀を出したばかり
の母親でした。聞けば、都会に働きに行った
息子はどこで向きを変えたのか、組員と
なり大阪湾に水死体で上がったというのです。
島に戻った遺骨を前に、腑抜けるほどの
悲しい別れでした。
女性は500円札を取り出し、四つ折りにして
ちり紙に包み、そっと私のポケットに入れながら
「馨君、頑張って神父にならんばよ。
私たちが頼るのは神様だけぞ。
だから、あんたたちが傍にいて話ば聞いて、
一緒に泣いてくれんば、私たちは救われんとよ」
と、手を握って涙ぐみました。
夫に先立たれ、病気や事故で次々と子供を見送り、
爪に火を点すような生活、それでも人を
気遣うのです。
その時、永遠なるお方の前に立たされた思い
でした。救いは脳にではなく心に宿るもの
だと初めて知りました。
思えば分けてもらったものでいつも生かされて
きました。分けてくれたのは、障碍を抱えた
子供を持つ家庭、生活保護を受けている家庭、
離婚している家庭……いくつもの傷を刻みながら、
「ただで与える」不思議な豊かさを持っている
人たちです。
イエスの福音の言葉に「天地の主である父よ、
あなたをほめたたえます。あなたはこれらの
ことを、知恵のある者や賢い者には隠して、
幼子のような者にお示しになりました。
そうです。父よ、これは御心に適うことでした」
とあります。
「幼子のような者」とは、世の中では頭数に
入れてもらえず、望みなく、頼りなく、心細く
生きて、神にしか頼ることのできない人たちの
ことです。
私は神父になってから机上の哲学や神学ではなく、
「幼子のような者」たちから福音の本当の
意味を学びました。
※続きは誌面でお読みください。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!