ニッケイ新聞は、ブラジルに住む日本人・日系
人のための新聞で、サンパウロ市に本社を置
く日刊邦字紙(日本語新聞)である。
ブラジル移民の歴史は1908年にはじまり、
1932年、33年を絶頂期に戦前だけで19
万人、戦後には、6万人、あわせて
約25万人が移り住んだ。
その子孫は現在、6世まで誕生し、当国の
日系人は約150万人に増えた。全世界の
日系人数が約250万人なのでその半
分がブラジルに在住している。
日本在住者にすると、ブラジルはサッカー、
コーヒー、サンバというイメージだろう
が、実はこのように強い血縁の絆
で結ばれた国なのだ。
2008年には日本人移住
100周年を迎えた。
この100年間は、順風満帆であった訳では
ない。戦後すぐに日系社会が直面した勝ち
負け抗争はその最もたるものだった。
♠戦時中に、日本語使用の禁止、邦字紙の
廃刊、日本語学校の閉鎖など敵性国民
として厳しい扱いを受けた。
♣当時、大半の移民が数年間の出稼ぎ気分
だったため、ポルトガル語の新聞を読める
ほどの語学力のある人は少なく、正しい
情報が手に入りにくい環境だった。
♥異国で生活する移民にとって祖国は、アイ
ディンティティのよりどころだった。敗戦
を認めることは、自らの誇りが打ちの
めされることであり、「帰る場所
がなくなる」ことだったのだ。
♦その結果、日本近代史上まれに見るテロ
事件が勃発し、コロニア(邦人社会)
は未曾有の混乱期を迎えた。
当地は、日本人が世界中の民族が集う異国社会
へ適応・順応するための壮大な歴史的実験
が、ささいな日常を通して行われて
いる現場でもある。
日系人による、特に農業分野における貢献は
大きく、「日本人が野菜を食べる習慣を
広めた」と言われるほどになった。
移民たちのたゆまぬ取り組みの成果として、
地球の反対側という位置関係にも関わらず、
世界でも珍しいほどの親日国家となった。
深沢正雪『海を渡ったサムライたち:
邦字紙記者が見たブラジル日系社会』
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!