私は実は外国語が大好きだった。中学一年で
皆と同じく英語を始めたが、中学二年で
ドイツ語、三年でフランス語を始めた。
高校でもこの3ヶ国語の学習を続け、
大学の教養学部では英独仏露を
履修し、卒業してからスペイン語、
ポルトガル語を独習した。
外国語を読めるようになること、その国の人と
片言でも話せるようになることは、途方も
なくスリリングなことだった。この愉
しみが病みつきとなり、様々な言語
に次々に取り組み精力的に勉強
したから、いくつかの言語を
スラスラと読むことができるまでになった。
この無邪気をいま、やや呆然とした気持ちで
眺めている。あの膨大な時間とエネルギーの
半分でも、古今東西の名作名著の精読に
向けなかったのが悔やまれる。若い
時分にもっとこれらに触れ感動
すべきだった、と無念に思うのである。
数年の海外生活を通して痛感したのは、真の
国際人となるために、東西の名作名著や日本
の文化や伝統に精通していることが、流暢
な英語とは比べものにならないほど重要
ということである。
アメリカ留学から帰国後、論理的に考えて
正しいと思ったことを即座に実行する、と
いうアメリカ方式が輝きの本質と分かっ
ていたから、私もその方式を公私に
わたって実行するようにした。
当然ながら職場では始終あつれきを起こした。
正々堂々と論戦し、そこで勝った者の意見が
正しい、というのがアメリカ方式である。
43歳のとき、イギリスのケンブリッジ大学で
一年の研究生活を送った。空港に降り立ち、
タクシーに乗り運転手と会話をはじめ
5分ほどたったとき、「アメリカ人
ですか?」と唐突に尋ねられた。
このとき私は、日系アメリカ人と間違える
ほどの流暢なアメリカ英語、と理解し
内心得意になった。
イギリス人がアメリカを徹底的に見下している、
と知るのに何ヶ月もかかった。何でも新しい
ものを好むアメリカ人を、歴史のない国
の人々と憐れみ、自分たちは反対に
何でも古いものを尊ぶ。
ケンブリッジのカレッジのディナーでは、肉を
切った後ナイフとフォークを持ち替えたら、横
の教授から「アメリカ式ですね」とやんわり
皮肉られた。そこでアメリカ映画やアメリ
カンポップスについて話したら座が白け
てしまった。英文科の教授がアメリカ
文学をほとんど読んでいないのにも
驚かされた。英国滞在が私にも
たらした影響のうち、最大の
ものは何と言ってもアメリカ崇拝の崩壊であった。
イギリスのアメリカを見る目は、一言で
いうと若造に対するそれである。
七つの海を支配し大英帝国を経験したイギリス
人は、富、繁栄、成功、勝利、栄光、名声など
のもたらすものを、既に見てしまった人々で
ある。だからそれらを求めるアメリカ人を、
無知な若造と嘲るのである。彼らは年輪
を重ねた自分たちが、テニスチャンピ
オンになったり、マラソンで新記録
を出すことができないのを知って
いる。薄っぺらな若者であるよ
り、気品と知恵のある熟年で
ありたい。すなわち俗悪な
勝者より優雅な敗者を選ぶのである。
藤原 正彦 (著)『古風堂々数学者』
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!