数学者として知られる藤原正彦さんは長年、
日本の国語教育のあり方に
警鐘を鳴らし続けてきました。
読書力の低下で、文学や詩歌など
美しい国語に触れない日本人が増え、
同時に人間としての大切な情緒が
失われつつある現状もその一つです。
そうなった背景は何なのか、
失われた日本語をこれからどのように
取り戻していけばいいのか。大局的な視点
から藤原さんにお話しいただきました。
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――藤原先生は数学者という立場から
日本の国語教育のあり方について長年、
警鐘を鳴らし続けていらっしゃいます。
〈藤原〉
私が国語教育を問題視するようになったのは
20年以上前からです。
ちょうど2,000年を迎えたあたりから
小学校で英語教育が始まったのですね。
だけど、私に言わせたら、
国語教育を蔑ろにしたまま
小学校教育に英語を導入するなど
亡国以外の何物でもありません。
国家が率先して、よくぞこのような教育を
やるものだと言葉を失いました。
しかも、教育学者のほぼ全員が
英語教育の導入に賛成していました。
当時盛んに叫ばれていたグローバル化、
地球市民という考え方に英語教育は
合致するというわけです。
でも、考えてみてください。
世界の人々は皆、どこかの国の国民であって
地球市民と呼ばれる人など一人もいません。
オーケストラにおいて
ヴァイオリンはヴァイオリンのように
鳴って初めて認められるように、
日本人は日本人のように考え、行動してこそ
世界で本当の価値を発揮できるのです。
――その頃から、今日に至るまで
国語教育は蔑ろにされてきたのですか。
〈藤原〉
小学校の国語の時間なんて
どんどん減らされていますよ。
大正時代、4年生で週14~15時間が
充あてられていたのがいま4~5時間でしょう?
そこに習字が組み込まれる場合がありますし、
運動会、学芸会となると練習のために
国語の授業が最初に削られる。
国語は毎日話しているから
削ってもいいという理屈です。
私も文科省や文化庁の国語教育に関する
審議会の委員などを務めてきましたが、
正常化の難しさを痛感してきました。
委員の半数以上が官僚にお墨付きを与える
ための御用学者です。2~3割は文化人や
芸能人やスポーツ選手で、残りの1~2割が
いわゆる〝ガス抜き〟のための変人。
私はいつもその変人の枠で選ばれていて(笑)、
自分の主張を激しくぶつけてきました。
すると、国語教育絶対論者の藤原正彦が入って
一応公平な審査が行われたという建前になる
わけですね。
ウンザリしたのは、
委員に選ばれる小中高の国語の先生も
大学の国語の教授も考えが
本質から乖離しているということでした。
例えば、小学校の国語は「読む」「書く」
「話す」「聞く」の技能がすべて
平等でなくてはいけないという主張なのです。
これが人権思想の影響なのかどうかは分かりま
せんが、私ははっきり言いました。
「小学校の国語において、比重は読みが20、
書くが5、話すと聞くはそれぞれ1です。
初等教育の目的は、子供たちが自ら本に
手を伸ばすように育てること、それだけです」と。
さらに
「学科で言えば、一に国語、二に国語、
三、四がなくて五に算数、あとは十以下」
と語気を強めて訴えました。
★本を読み、国語力を高めることが、
そのまま人生、仕事力に繋がります。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!