忍者の子孫を訪ね歩き、東海道新幹線の
車窓から関ヶ原合戦を追体験する方法
を編み出し、龍馬暗殺の黒幕を探る。
岡山藩の忍者のことを読売新聞に
紹介したら、ほうとうに忍者か
ら電子メールがきた。
はじめは嘘かと思った。
ところが、差出人の住所
は滋賀県の甲賀市。
読んでみると、まことに
真摯な手紙であった。
甲賀の忍術は謎につつまれている。
伊賀忍者については『万川集海』と『正
忍記』という2つの忍術書がすでに
公刊され、誰でも読める。
忍者の学術研究の難しさは、彼らが隠
れているところにあるが、まったく
研究できないわけではない。
忍者は、そもそも、どこに、どの
ように住んでいたのか。
どうしても歴史学のメス
を忍者に入れたい。
滋賀県の甲賀まで行って、甲賀忍者
の子孫を訪ね歩き、根こそぎ古文書
を見ていくしかない、と思った。
こういうときは常人がやらないような
無理無体な史料調査をやらねば
道はひらけない。
『武士の家計簿』を書いた時
の経験から、そう決意した。
甲賀の山間には、今でも忍者
のご子孫がいらっしゃる。
地元の人や団体に紹介してもらうなど、
手順を踏み、真っ正直に「日本初の
忍者のまとまった学術研究をし
たいんです」と打ち明ける
と、どういうわけか、
忍者のご子孫はみな優しかった。
武家では死んだ先祖の
霊力が鎧兜に宿る。
見事に戦った者、討ち死に
した者は特に霊力が強い。
鎧兜にその力が宿り
子孫に武運を与える。
幕末の薩摩人(薩人)は、これから起き
うる事態を事前に想定し、対処のすべ
を用意することに長けていた。
薩人の判断力の正体は高い反実仮想力
であったといってよい。
これを鍛えたのは、薩摩の郷中
教育の「詮議」であった。
薩摩では詮議と称し、子供にいろいろ
と仮定の質問をなげかけて教育した。
「殿様に急用で呼ばれた。早馬でも
間に合わないときは、どうするか」
など、仮定の質問を子供に問い、考え
させる訓練が繰り返された。
幼少期に、仮想してみる頭が鍛えら
れることは、とても大きい。
想定外が想定内になってくる。
このことが、いまの日本には大切だ。
新幹線がどういうわけで岐阜県を通ること
になったか、本当のところは知らない。
歴史少年であった子供のときから「新幹
線、よくぞ岐阜を通ってくれた」
と思っていた。
新幹線が岐阜を通ってくれている
ことで、関が原の古戦場がみら
れるのが、ありがたい。
関が原見物作法。
いやしくも新幹線に乗る歴史好きは、全
身全霊でもって岐阜県関が原付近の古
戦場を観尽くさねばならぬ。
関が原見物は東京駅出発時からはじまる。
東京側から新幹線に乗るときは、徳川
家康の気持ちになって風景を見物
しなければいけない。
静岡に入り、安部川が見えたら、
人質時代を思い出してみる。
そのあと、自分の城を見るつもり
で掛川城、浜松城をさがす。
矢作川をこえて三河安城にきたら、
ここが父祖伝来の地だと感慨に
耽るように風景を見ていく。
安城付近にある鎮守の森や集落は、その
ひとつひとつが、徳川譜代の三河武士
を生み出した根っこだから、家康
になったつもりで、ひとおしい目で眺める。
大垣が近づいたら、すぐさまデッキを
移動し、右側の窓にピッタリついて、
関が原戦いで、家康の本陣が
おかれた赤坂の丘をさがさねばならない。
関が原あたりに雪が積もると東海道
新幹線はのろのろ運転になる。
徐行運転になると関が原古戦場
がゆっくり見物できる。
だから、大雪が降ると、新幹線に
乗って関が原を見に行きたい。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝