明治人としての強い立身出世願望を常に持ち続けていた人 第 2,651 号

 「戦費調達」の絶対使命を帯び欧米に向かった

高橋是清と深井英五。彼らを待ち受けていた

のは、金本位制を元に為替レースを安定

させ急速に進化した20世紀初頭の

国際金融市場であった。

 明治維新を経た日本人が初めて本格的に

国際金融市場に足を踏み入れた

物語でもある。

 今ここで二人の当時の足跡を追うことは、

日本と国際金融市場の関わり合いの歴史

そのものを追うことだと言えよう。

 そしてまた、日露戦争はポーツマス会議で

終戦を迎えるが、戦争の結果として日本が

得ることとなった満州の利権をめぐる「

桂・ハリマン協定」の問題、さらに

それに連なる日本の鉄道国有化、

満鉄、すなわち南満洲鉄道の

設立や、植民地経営など、

第二次世界大戦にまで至る、

その後の日本の行方を決定づける

イベントは、日露戦争の戦後処理の

中にあった。

 そうしたイベントにも、国際金融市場は

深い関わり合いを持っていたのである

 いずれにせよ、高橋是清はボーイや下男、

特許局における制度設計やペルーでの

鉱山開発、日本銀行の行員などさま

ざまな階層において、実にバラ

エティーに富んだキャリアを積んできた。

 ただ一つ言えるのは、どんな場面でも常に

英語力を基点とし、しかも会話をともなう

様々な英語に関わっていたことが強みと

なっていた、ということである。

 酒脱でユーモアにあふれる一方で、明治人と

しての良い意味での強い立身出世願望を

常に持ち続けていた人であった。

 当時の欧米の金融市場ではジョン・ピア

ポント・モルガンや、ヤコブ・シフ、

カッセル卿にハリマンなど、

大物がいた。

 最初は翻弄されたものの、彼らと対等に渡り

合った高橋是清、同時にアメリカ大統領と

緊密に連携した金子堅太郎、国際感覚

に優れた伊藤博文、涙もろい井上馨、

責任感の塊とも言える小村寿太郎

など、世界に出て堂々と渡り

合える人物が日本には大勢いた。

板谷 敏彦  (著)『日露戦争、資金調達

 の戦い。高橋是清と欧米バンカーたち』

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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