元国税調査官が、「大化の改新」以降の土地
と財産の歴史にガサ入れ!日本の「土地と財産」
の歴史は、ほかの地域に比べてかなり変わっ
たものである。日本では古来、大資産家や
豪族の持つ広大な土地、財産を没収し、
国民に分け与えるということを幾度
も行ってきた。中世以降、土地や
財産の一極集中はあまり進まず、
近代にいたるまで貧富の差は
それほど大きくならなかった。
江戸時代の農村などでは、農地を村全体の共有
財産としているような地域もあったのだ。本書
では「班田収授の法」や地租改正などの世界
史上まれにみる土地制度の変遷をたどり、
日本の本質に迫る。
●蘇我氏暗殺は「土地の国有化」のため
●/大地主だった中世の寺社
●/信長が「直轄領」をほとんど持たなかった理由
●/明智光秀の「本能寺の変」の一因は、信長
独特の領地政策にあった
●/徳川家康は“史上最大の資産家”だった
●/事実上の農地解放だった“地租改正”/
●中途半端な土地規制がバブル崩壊を招く
ぞくぞくするほど面白い!歴史を動かしてきた
土地制度とカネの話。
徳川家康は「日本史上最大の資産家」だった。
家康の場合、大坂の陣以降は、
直轄領だけで400万石あり。
徳川家勢力全体では、800万石あった。
家康は、棚からボタモチで巨額を築いた。
家康は、他家同士の大きな戦いが終わった後に、
敗れた勢力を食いつぶすことで、
勢力を急拡大してきた。
桶狭間の戦い、本能寺の変、小田原征伐など。
関ヶ原の戦いにより、家康は、全国の主要な金山、
銀山、堺などの主要港を手に入れた。
明治維新とは、武士たちのリストラだった。
古代日本は、朝鮮半島の一部を領有していた。
半島南部の任那(みまな)という地域で
広大な穀倉地帯であった。
朝鮮半島は、古代日本の鉄の供給源だった。
「応仁の乱」の原因は、室町幕府の
直轄領の少なさにあり。
織田信長は、大胆な農地改革を行い、領民に
対して「大減税」を行った。
それが国力増強につながった。
室町時代、寺社勢力は、広大な土地と莫大な
資産を持っていた大財閥だった。それを
もとに、国の政治経済の中枢を握っていた。
信長は、寺社勢力の経済利権をぶっ壊し、
楽市楽座をつくり、規制撤廃を断行した。
大村 大次郎 (著)『土地と財産で
読み解く日本史』
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!