昭和天皇は戦後独自の情報ネットワークを構築していく 第 2,015 号

 「米国人は立憲君主をまったく理解していな

い」「君主は単にゴム印を押す存在ではな

い」(英外務省内部文書)戦後、GHQに

よって「象徴」とされた天皇のあり

方について、立憲君主制の老舗の

英国は、そんな表現で、日本の

宮内庁に助言をしていた。

そこで、昭和天皇はどう動いたのか――。

田中清玄を批判する者がいる一方で彼を「国士」

「愛国者」と評価する人々がいたのも事実だ。

 私が田中に興味を抱くようになったきっかけ、

それはロンドンにある英国立公文書館で、偶

然、彼に関するファイルを発見した時であった。

 かって英国は世界の陸地の四分の一を支配し、

七つの海を自由に航海する世界帝国で、イン

ドやアフリカなど広大な植民地は「陽の

沈まぬ大英帝国」と形容された。

 その覇権を支えたのがずば抜けた情報収集

力である。全世界に散った外務省、国防省、

MI6(英国情報局秘密情報部)の要員は、

現地から様々な情報を本国に送っている。

 その国の政治、経済情勢はむろん、有力者の

性格や健康状態、はては王室の内部事情と

多様で、これらは綿密に分析、蓄積さ

れた後、外交交渉に利用された。

 その膨大なファイルを保管している

のがロンドンの公文書館である。

 明治から大正、昭和、そして平成にかけて

駐日大使館などが作成したファイルで、

英国の視点で見ると日本の近現代史

の真相が浮かび上がる体験が何度

もあった。その一つが、田中

清玄ファイルだった。

 その天皇家が直面した最大の危機が、

昭和の時代の戦争だった。

 中国で広がった戦火は軍の暴走と

国民の熱狂を生み、やがて英米

との全面戦争へ、そして国土

が焦土と化して無条件降伏で幕を閉じた。

 たった一発の銃弾、たった一つの誤算が

日本と世界の空気を変え、国家を

崩壊寸前まで追い詰めた。

 「あのとき、こうしていたら」という自責の

念に駆られたのか、昭和天皇は戦後、独自

の情報ネットワークを構築していく。

 謁見した海外の要人から直に国際情勢、特に

共産主義の脅威を聞き出し、その情報源が

英米の有力政治家から米国の財閥ロック

フェラー家まで及んだのは、通訳の

真崎秀樹の証言テープが明らかにした。

 また田中清玄も、入江相政侍従長を介して

国内外のインテリジェンスを届け、欧州の

ハブスプルク家からアラプやアジアの指

導者、山口組組長まで稀有な人脈を

持つ彼は、力強い援軍になったはずだ。

 天皇三代の行動を「インテリジェンス」と

いう側面から再構築すると、「象徴」と

いう言葉だけではとらえられない、

本当の君主像が見えてくる。

 昭和、平成と受け継がれた、新しい天皇像

は、海外留学を経験した始めての天皇で

ある令和の御世の新天皇のもとで

今、花開こうとしている。

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 今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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