品川弥二郎が、村塾の三傑といわれた
久坂、入江、晋作の人物月旦を
このようにした。
晋作は学問では久坂に劣り、識見では
入江に及ばないが、冷静沈着に状況
判断し、機を見て一挙に決断する
勇気は、誰にも引けを取らない。
また一旦事を起こせば、どのような
困難や障害があろうとも、断固と
してこれをなす実行力は、彼
の真骨頂であったという。
晋作なる人物について、英雄、奇才、
俊傑、奇男児、軍事的天才、革命家、
天下の人物、忠孝の人など、さま
ざまな形容を呈しているが、
やはりもっとも説得力が
あるのは、軍事的
天才という評価ではなかろうか。
生死を懸けた戦争という非常事態がまさ
にそうであるが、晋作は危機的状況に
直面し、絶体絶命の境地になれば
なるほど、ますますその才能を
遺憾なく発揮した。
ある意味で、そうした危機にもっとも
強い、困難な状況に耐えられる
タイプの人間であった。
平時の藩官僚としては、ほとんど役立
ちそうもない昼行灯的な存在であるが、
馬関海峡の停戦交渉のような、修羅
場の外交交渉は実に見事である。
外交官としての彼は、交渉の過程で機を
見るに敏、状況判断が早く、しかも
正確であり、弁舌爽やかに自らの
主張をはっきりと述べ、相手を
いつの間にか自分のペースに
引き込んでしまう才能があった。
晋作に言わせれば、いくら沢山の本を
読み、懸命に勉強に励み、孝行や忠義
に関する豊富な知識を持つことが
できても、これを実際に行わな
ければ何も意味もない。
いかなる毀誉褒貶があろうとも、わが道
をひたすら歩む、すなわち口舌の徒とな
るのではなく、行動の人たらんとする。
これがまさに、晋作の27年余の生涯を
支えた確たる信条であり、その波乱
万丈に満ちた人生の何たるかを
解き明かすキーワードに
他ならなかった。
何度も試みた脱藩行は、由緒ある高杉家
のお取り潰しを十分予想させる、最大の
親不孝であったが、彼はその都度、
両親に対し誠に申し訳ない、
妻子にも大きな迷惑を
かけると、繰り返し
謝罪することを忘れていない。
つまり悪行、非行であることを百も承知
しながら、実に少しもためらわず、そ
うした不孝な行為をあえてした。
過激な行動に出るたびに、わざわざその
理由を丁寧に説明し、少しでも納得して
もらおうとしたのは、周囲の人びと、
とくに家族に対する彼一流の思い
やりであり、一見暴れん坊風の
晋作は、意外に内省的で、神
経細やかな気質の持ち主で
あったことを物語るものかもしれない。
たしかに、晋作にもいろんな複雑な
思いはあり、悩みもまた沢山あった。
しかし、なすべき時と場所に際会すれ
ば、彼はなすべきことを断固としてなす。
その一点に関して、誰にも真似のでき
ない、まさしく行動の人であった。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝