普段から”いざ”という時の為.心を錬っておくことが大切である 第 2,824 号

かつて日本において、人々の間で
盛んに交わされた「修養」の二文字。

その火つけ役となったのが、
講談社の野間清治でした。

様々な雑誌を発刊することで、
修養を一つの文化にまで高めた野間清治。

その流れは、一つの潮流として、
いまも生き続けています。


「知の巨人」渡部昇一先生は、
修養について、次のように表現されています。

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・修養とは、自らをよりよくしようとする
 心の胎動である


・非常な不運に遭えば偉い人でも
 ひっくり返ってしまうけれども、これを
 ちゃんと受け止める心構えが必要である。
 反対になんでもない順境の時には、
 いざという時のことを思って何が来ても
 大丈夫なように心を錬っておくことが大切
 である。これが修養というものの勘どころで
 ある。 


・「修養」は、やってもやらなくても、
 普段はあまり変わらない。いい
 ご馳走を食べさせた羊と、普通の羊とでは、
 見た目に変わりはない。ところが、
 いざ肉にしてみる、毛を刈ってみると、
 その差は歴然としている。いいご馳走を
 食べた羊の肉は美味しい、毛の質もいい。
 人間も同じ。その人の価値が、ちょっと見では
 わからない。いざという時を見なければ
 わからない。
───────────────────


自らも修養の人として、
自分をよりよい人間にしようという
向上心を持ち続けられた渡部先生。

それだけに、その視線の先には、
常に先知先哲の生き方がありました。

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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