かつて日本において、人々の間で
盛んに交わされた「修養」の二文字。
その火つけ役となったのが、
講談社の野間清治でした。
様々な雑誌を発刊することで、
修養を一つの文化にまで高めた野間清治。
その流れは、一つの潮流として、
いまも生き続けています。
「知の巨人」渡部昇一先生は、
修養について、次のように表現されています。
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・修養とは、自らをよりよくしようとする
心の胎動である
・非常な不運に遭えば偉い人でも
ひっくり返ってしまうけれども、これを
ちゃんと受け止める心構えが必要である。
反対になんでもない順境の時には、
いざという時のことを思って何が来ても
大丈夫なように心を錬っておくことが大切
である。これが修養というものの勘どころで
ある。
・「修養」は、やってもやらなくても、
普段はあまり変わらない。いい
ご馳走を食べさせた羊と、普通の羊とでは、
見た目に変わりはない。ところが、
いざ肉にしてみる、毛を刈ってみると、
その差は歴然としている。いいご馳走を
食べた羊の肉は美味しい、毛の質もいい。
人間も同じ。その人の価値が、ちょっと見では
わからない。いざという時を見なければ
わからない。
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自らも修養の人として、
自分をよりよい人間にしようという
向上心を持ち続けられた渡部先生。
それだけに、その視線の先には、
常に先知先哲の生き方がありました。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!