「教養」とは、世の中に溢れるいくつもの
正しい「論理」の中から最適なものを選び
出す「直感力」、そして「大局観」を与
えてくれる力だ。では、教養を身に
つけるためにはどうしたら良いのか。
教養の歴史を概観し、その効用と限界を明ら
かにしつつ、数学者らしい独創的な視点で
「現代に相応しい教養」のあり方を提言する。
書物やネットにある情報量は、ほぼ無限だ。
この世に溢れる情報の99%は自ら
にとってゴミ情報だ。
通常は嗅覚により自分にとって価値ある情報
を選択している。その嗅覚は何によって培わ
れるのか。教養とそこから生まれる見識
が大きく働いている。
ルネサンスにより、千年間にわたり中国や
イスラム国家に遅れをとっていたヨーロッ
パが劇的に変身をとげた。すべての発端
は、千年近い中世の惰眠から人々を
覚醒させたギリシア古典だ。
ギリシア古典は、たかが古典だ。それでも
文学、数学、自然科学など、古典から得た
教養人が人々の精神にコペルニクス的
転回を与え、世界史を大転換して
しまった。古典からの教養とは
それほどの力を秘めたものなのだ。
ある会社の社長は、いった。「人間にとって
最も大切なのは、人と付き合い、本を
読み、旅をすることだ」
手塚治虫はこう言った。「君たち、漫画から
漫画の勉強をするのをやめなさい。一流の映
画を見ろ、一流の音楽を聴け、一流の芝居
を見ろ、一流の本を読め。そしてそこ
から自分の世界を作れ」
日本は、大衆文芸も諸外国に比べて圧倒的
で万葉集の頃から現代にいたる
まで、極端に豊富だ。
西暦500年から1500年にかけての10世紀間に
日本一国で生まれた文学作品は、その間に全
ヨーロッパで、生まれた文学作品を質お
よび量で圧倒する。
読書すれば、現代の学生でも激変する。
民主主義という暴走トラックを制御する
ものは、国民の教養だけなのだ。
江戸末期、江戸に来たイギリス人たちは、普通
の庶民が本を立ち読みしている姿を見て、
「この国は植民地にはできない」
と早々とあきらめた。
「自国を統治できない無能な民のために我々
白人が代わって統治してあげる」というのが
植民地主義の論理であったが、庶民が立ち
読みする光景は本国にもないものだった
からだ。読書は国防ともなるのだ。
ロシアの作家チェーホフはこう言った「書物
の新しい頁を一頁、一頁読むごとに、私は
より豊かに、より強く、より高くなっていく」
藤原正彦『国家と教養』
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!