江戸時代、大坂の陣で、関東方勝因の第一は淀川筋の
豪商豪農をいち早く制したことだといわれる。
大坂の陣で徳川方に味方した淀屋親子が、家康や秀吉
両将に本陣を献上した話はよく知られる。
寸刻も惜しまれる突貫工事である。資材も機動力も
設計施工など一切、現代のプレハブ住宅式に完備
させたものだといわれる。まったく驚くべき神技だ。
淀屋常安は、徳川家康、秀忠という最高司令官の目の
前で、工程の始終から完成までの功績を余すこと
なく、じきじきに大将に認めさせ、その心
を掴むにはもっとも有効な方法と
場所を独占した。
御陣献上の功績は、やがて淀屋を満足させる御褒美に
なった。まず、八幡の山林田地300石の永代所領
安堵御墨付きを拝領して、「岡本」の苗字と
帯刀を許され、八幡侍格を仰せ付けられた。
ついで当時、大坂・堺に来る干鰯の
運上銀を得られることになった。
大坂城落城後は、散乱していた鎧、兜や刀剣その他の
武具、馬具の後始末を願い出て巨富を得たという。
さらに、全国規模で大坂に集まってくる米相場の標準を
建てたいと願って許され、その独占権を与えられた
のである。これこそが、淀屋のもっとも欲し
かった恩賞だったのである。
遠からず天下の台所といわれる大坂の中心部に店舗を
構えていた淀屋は、諸国の米を一手にさばくという
天下の心臓部的役割を果たすことになる。
智と才がみなぎる頭の中には、つねに現在を踏まえた
未来の緻密な設計図が描かれ、細心にして豪放、
一時一時に命がけの情熱を注ぎつくして、
寸刻を惜しむ淀屋常安が、これら
の逸話の中にうかがえる。
常安は中之島が水運に恵まれていることを見逃さ
なかった。そこで、願い出てこれを常安請地と
して開発をすすめた。これが、常安の生涯
の総仕上げの仕事になった。
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