暗号解読という営みに向ける国家的執念の凄さを強く印象づけられる 第1,078号

 東西冷戦後、原著者らの努力で「ヴェノナ

作戦」の成果が公表され、世界中の

歴史家に衝撃を与えた。

 第二次世界大戦時の同盟国ソ連が百人

単位の規模でアメリカにスパイを送り

込み、外交、軍事、産業上の機密

情報をことごとく盗み出して

いたことが分かったからである。

 当時のルーズベルト政権は、完全に

ソ連の工作の影響を受けていた。

 そしてアメリカの軍事機密がソ連

に筒抜けだった事実は、日本に

とって何を意味するか。

 ソ連はアメリカの原爆プロジェクト

「マンハッタン計画」を事前に把握

しつつ、1945年8月6日の広島

への原爆投下を見届け、同月

8日に対日戦線布告を行っ

たということである。

 「ヴェノナ」とは、第二次世界大戦中の

1943年、アメリカ陸軍によって始めら

れたソ連暗号の傍受・解読作業に

対して付けられたアメリカ側

の作戦名(プロジェクト)である。

当時、連合国の間で、英米側は、ソ連が

ナチスドイツと単独講和を結ぼうと

して独ソ交渉を行っているのでは

ないか、との疑いを強めていた。

 そこで、ソ連の外交電報の傍受・解読に

よって、その証拠をつかみ交渉の内容

を把握しておこう、という目的で

この「ヴェノナ作戦」が開始

されることになった。

 周知の通り、日本やドイツが使用して

いた暗号は、大戦以前から英米に

よってしばしば解読されおり、

とりわけ第二次世界大戦

中は、ほとんど余す

ところがないほど、

日独のほぼすべての暗号

は、英米当局によって解読

され尽くしていた。

 しかし、ソ連の暗号は

そうではなかった。

 通信の効率ではなく、何よりも機密の保全

を最重視したソ連は、理論上、絶対に解読

不能と考えられていた「一回限りの破り

捨て乱数表」(ワンタイム・パッド)

を用いていたからであった。

 そのため、「ソ連の暗号は解読不能」と

いうのが、戦後も長い間、専門家や

歴史家の常識とされていた。

 しかし、事実は違っていた。

 それを知ったときの驚きは

今でも覚えている。

 1943年といえば、アメリカは国力を

挙げて日本およびドイツとの戦争

に集中していた時期である。

 その時期に、日独の暗号への取り組みと

併行させながら、アメリカはソ連暗号の

解読作業に、それこそ血の滲むような

努力を積み重ねていたのである。

 暗号解読という営みに向けられる

アメリカの国家的執念の凄さを、

まず強く印象づけられる。

 この「ヴェノナ作戦」による成果が、冷戦

終焉後の1995年になって「ヴェノナ」

文書(ファイル)としてアメリカ

政府によって公表されるのである。

 中西輝政・監訳『ヴェノナ:解読

    されたソ連の暗号とスパイ活動』

  の詳細,amazon購入はこちら↓

   http://amzn.to/2nuoAdZ

今回も最後までお読みくださり、

    ありがとうございました。感謝

スポンサードリンク

♥こちら噂の話題満載情報♥

ぜひ、いいね!を「ぽちっ」とお願いします

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください