いまや世界を代表するサーカスになった
創業114年の木下サーカス。
現在、大阪で公演中ですが、
その知られざる歴史を本日ご紹介します!
────────[今日の注目の人]───
★ 渾身これ慈悲の人 ★
木下 唯志(木下サーカス社長)
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──木下サーカスは今年創業114年
ということで、大変な歴史を
お持ちですね。
木下サーカスの歴史について簡単に申し上げると、
初代木下唯助は香川県丸亀市出身で、叔父の
矢野岩太が経営していた移動動物園の
手伝いをしていました。
ですから、若い頃から様々な動物と
一緒の生活を送っていたんです。
そのおかげか動物の調教がとてもうまく、
興行師としての采配もなかなかのもので、
その才覚を買われて、岡山を基盤に
劇場関係の興行を行っていた
木下家に、二十歳で養子
に迎えられました。
ところが当時の木下家は、当主の木下藤十郎が
演芸興行に手を広げ過ぎたために経営は火の車。
それを見事に立て直したのが唯助でした。
──経営の手腕がおありだったと。
最初はいくつか失敗もしたようですが、
明治35年に軽業一座を組織して遼東
半島にある大連で旗揚げしたのが
木下サーカスでした。
当時、大連はロシアの租借地ですから、
相当勇気のいることだったと思うの
ですが、サーカス好きのロシア人
には随分と歓迎されたようですね。
(略)
とにかく唯助の芸への熱は目を見張る
ばかりで、空中ブランコを取り入れた
のも大陸巡業中のことでした。
それに自ら馬を調教して馬上剣舞を披露したり、
冬の夜にアシカと一緒に底冷えする床に寝る
ことでその習性を覚え、芸を教え込む
などしていたんですよ。
──大変な熱の注ぎようですね。
その熱心さは……
※約28年に多額の負債を抱え、倒産の危機に
直面した木下サーカス。
その苦境を脱する立役者となった4代目
社長・木下唯志さんの
お話の続きは本誌でどうぞ!
『致知』2016年6月号 特集「関を越える」P40
今回も最後までお読みくださり、ありがとう
ございました。 感謝!