最後は自分です.だから生きることは自分との闘いだと思っています 第 2,189 号

東京オリンピックで米国との頂上決戦を
制したソフトボール。

白熱した試合に、手に汗を握りながら
テレビ画面に釘づけになったという方も
多くいらっしゃったことでょう。
その強さの原点はどこにあったのでしょうか。

監督の宇津木麗華さんは、かつて『致知』
誌上で師である宇津木妙子さんと
対談されました。

厳しい練習や逆境を乗り越え、
世界の強豪に打ち克つための
〝プロの条件〟について語り合われた
記事の一部を紹介します。

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〈麗華〉
代表監督になったばかりの頃、宇津木さん
への誹謗・中傷が出回っていました。
随分いやがらせを受けたことも知っています。
でも宇津木さんは負けなかった。
その強さ、ソフトボールへの執念、
勝利への執念には本当に頭が下がります。

私は中国にいた頃は、自分が打てなかったり
点差が開くと、諦めてしまうこともありました。
日本に来て、宇津木さんから怒られ、指導され、
勝利に対して執念を持つようになったと
思います。


私たちはきつい練習を乗り越え、
怪我を抱えながら、生活のすべてを捧げて
ソフトボールをやっています。
何のためかといえば、それは勝つためです。

勝った瞬間のわずか10秒。
あのめまいとも似つかない10秒間のために
戦っているといってもいい。それは勝った人
しか分からない喜びであり、楽しさです。
その楽しさを知り、勝つための執念を燃やし
続けられる人が本物の「プロ」だと思います。

〈妙子〉
最近よく、「オリンピックを楽しみたい」とか
「ゲームを楽しむ」という言葉を耳にするけど、
ちょっと違うんじゃないかなと感じます。


どうも逃げのニュアンスが含まれている気がする。
本気で金メダルを目指し、勝ちにいくなら「楽し
み」より「苦しみ」のほうが断然大きいですよ。
それでも勝ちたいから戦いに挑むのです。

〈麗華〉
勝った瞬間の10秒間以外は
すべて苦しみかもしれませんね。

〈妙子〉
代表監督に就任する時、「全責任を追うから
全権を任せてほしい」と協会に言いました。
それは裏返せば「責任を取る代わりに、
口出しするな」ということになる。
そう言った手前、必ず実績を出さなければ
いけないと自分に言い聞かせて頑張ってきた。

その重責、プレッシャーは
言葉にできないほど苦しかったし、
神経もだいぶすり減った気がします。
でも、その苦しさに負けない人が
プロじゃないかと私は思うんです。

苦しさに負けない。
それは自分に負けないことだと思います
私のソフトボール人生を振り返れば、
まさに自分との闘いでした。悔しい、
負けないんだと執念を燃やしていたけど、
負けたくない相手は自分でした。人じゃない。
弱い自分、くじけそうになる自分に、もう一人
の自分が「頑張れ、頑張れ」と言い続けてきた。

生きるって、最後は自分ですよ。
夫もいるし、親もきょうだいも、友人もいる。
みんな励ましてくれるし、
勇気づけてくれるけど、私にはなれない。
踏ん張って、最後に頑張るのは自分なんです
だから生きることは自分との闘いだと思って
います。


※本記事は月刊『致知』2003年8月号
特集「プロの条件」より一部抜粋・
編集したものです

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  今回も最後までお読みくださり、

    ありがとうございました。感謝!

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