戦後、政財界のリーダーたちが
師と仰いだ東洋思想家・安岡正篤師。
その没後40年を記念して師の講話録
『活学』が弊社から復刊されました。
半世紀以上前に話されたものですが、
その内容は驚くほど現代に通じる部分が
多くあります。
「活学とは何か」という『活学』冒頭の章で、
安岡先生は次のように述べられています。
本の読み方にも二通りあって、一つは同じ読む
と言っても、そうかそうかと本から始終
受ける読み方です。
これは読むのではなくて、読まれるのです。
書物が主体で、自分が受身になっている。
……(中略)……
もっと上品に古典的に言うと
「古教照心」の部類に属する。
しかしこれだけではまだ受身で、積極的
意味に於いて自分というものの力がない。
そういう疑問に逢着して、自分で考え、
自分が主になって、今まで読んだものを再び
読んでみる。
今度は自分の方が本を読むのです。
虎関禅師は、
「古教照心、心照古教」と言っておるが、
誠に教えられ考えさせられる、
深い力のある言葉です。
自分が主体になって、
自分の心が書物の方を照らしてゆく。
「古教心を照らす」とは、書物を読んで
「なるほど」と思う受け身の読み方、
「心古教を照らす」とは、こちらが主体的に
本に向き合うことで、自分の心が教えを
照らすようになるという教えです。
まさに活学の本質を突いた言葉だと思います。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!