杉原がハルビンで情報収集活動をするのに絶好の身分であった 第 509号

 「国境と向かい合った近代の日本人」が

本書のモチーフです。

 いわゆる「島国根性」から遠いところにいた人々。

 とはいえ、ハルビン学院と満洲国は、歴史教科書

の一部としてみるに、まだまだ鮮度の高い生モノ

あり、あの時代の都市と国家、そして日本人たちの

相貌は、世界のあちこちで国境線が引き直されて

いる冷戦後の現代と交錯します。

 そして、私たちに「国って何だ?」という素朴、

かつ深い問いを発しているように思えるのです。

 ハルピン学院とは1920年(大正9年)、

元南満洲鉄道株式会社の総裁、後藤新平の

肝いりで設立されたロシア語を学ぶ

ための専門学校である。

 設立当初は日露協会学校といい、満州国が

できてから満州国立大学ハルビン学院

と名を変えた。

 3学年制の日露協会学校の第一学年の週間

プログラムは、36時間のうち半分の18

時間をロシア語授業にあてた。

(読み方、書き取り、文法、会話、訳読、和文露訳)

 ちなみに他の授業は、国語漢文(2時間)、

経済学概論(2時間)、法律通論(2時間)、

商業学(3時間)、商業数学・珠算(2時間)、

簿記(2時間)、商業作文(1時間)、

第二外国語(2時間)、体操(2時間)。

 進級するとロシア史やロシアの商業習慣に

関する講義が待っている。

 3学年になればそれらがロシア語に

よって行われる。

 ロシア語教師の多くはネイティブだ。

 おもにウリヤニツキ先生だ。

 彼女のロシア語授業はまず徹底的な

暗記から始まる。

 これが外国語を覚える最短の道であるが、

単調でキツいのも確かだ。

 ハルビン学院の主目的は、ソ連・ロシアの

研究にある。

 卒業後の就職先は限られていた。

 満州国外交部、満鉄調査部、ハルビン特務機関

など、ロシア語を買われての採用である。

 いや、それなら上々で、ハルビン憲兵隊や

陸軍通訳が普通だった。

 杉原千畝はハルビン学院の一期生である。

 満州事変の起こった1931年以降、杉原は

帝国陸軍の将校であり、同時に満州国

外交部の官吏となった。

 この二重の身分は、彼がハルビンで情報収集

活動をするに絶好であった。

 杉原は東支鉄道の買収時に、満州国外交部ソ連科長

兼計画科長として指揮をとっていた。

 同時にロシア語を駆使した有能な諜報員でもあった。

 彼が抱える情報提供者にはロシア名を名乗る

ユダヤ人が少なくなかった。

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 今回も最後までお読みくださり、ありがとう

             ございました。感謝!

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