フェラーリやマセラティをデザインし、近年は
家具や食器、そして新幹線のデザインまでを
手がける、世界的な工業デザイナー・奥山清行氏。
氏は自身が活用できた理由を、「日本人として
のセンスがあったから」だと断言する。
では、その日本人のセンスとはどんなもので、
それを引き出すためにはどうすればいいのか。
それを説くのが本書。
個人が世界で活躍するために、そして日本
のものづくり復活のために、数多くの
示唆を与えてくれる一冊。
クリエイティブなことを可能にするのは、後天
的なセンスと、経験から得たスキルである。
そのための道具の使い方をマスターし、自在
に使いこなし、世の中を大局的に捉える
マクロな視点と、課題の細部までを
理解するミクロな視点を併せ持つ。
そういう人が提案するアイデアが、時として
クリエイティブであると評価される
だけのことだ。
海外で感じたことは、日本語は情報を伝える
機能よりも、自分の今の感情、ポジション
などを表現する機能に優れている。
つまりファジーな全体の中での自分のポジ
ションやフィーリング、感情を伝える
機能が高いということだ。
手で描き写すからこそ、秘密がわかる。
GMに入社して一年目、僕はデトロイト
でひたすら周囲を観察した。
一通りのことがわかると、彼らが求めて
いるものが見えてくる。
彼らが欲していたのは、日本人らしい
デザインなどではない。
GMの顧客がGMに求めている、アメリカ
らしい魅力に溢れた新しいクルマだ。
そこで僕は何をしたかというと、毎日昼休みに
巨大な中央図書館に行って、昔のカタログや
クルマのデータなど、古い資料を
ひたすら漁って勉強した。
そして、気に入ったものは自分の
スケッチブックに描き写した。
昔の自動車カダログのビジュアルは今の
ような写真ではなく、すべて絵だ。
商品企画と戦略のコンセプトが固まったら、
その次にデザインスケッチを描く。
真剣に考えた絵を、毎日20枚くらいの
ペースで3ヶ月描き続けた。
なぜそんなに描いたのかといえば、「たくさんの
中から選ぶからいいものが出てくる」
としか答えようがない。
これは同じ世界を目指す後輩に向けての
メッセージだが、若いデザイナーは質を
追うならひたすら数を出せと言いたい。
どうしてプロがアマチュアに勝てるかといえば、
プロは常に量をこなし、来るか来ないかわから
ないチャンスのために常に準備するからで
ある。それがプロというものだ。
情報発信しないデザイナーはデザイナー失格。
誰も知らないということは、すなわち存在
しないと同じことだ。
アイデア出しの方法はいろいろあるようで、
以前、テレビ番組で村上龍さんとお話して
いたら、物書き方は原稿用紙でアイデア
出しをすることがわかった。
手を動かしながら文字を書いていくのは絵の場合
と同じで、やはり最初のうちは頭で考えた言葉
を手が書き写すだけである。
しかし、そのうち筆が走っていくと、肩から
先が勝手にものを書いてくれるよう
になるのだという。
それぞれの方法に共通しているのは、予想外の
アイデアが生まれた時、自分自身が一番
ビックリするということだ。
文章でも絵でも、ブレストでも、対話という
アイデアのキャッチボールによって、
思いがけない傑作が出てくる。
高級な腕時計を手にしている人は、時間を
見ているのではない。その腕時計を見ているのだ。
自分の肉体が滅んだ後も時を刻んでくれる
はずの時計を眺め、未来から見た自分の
人生に思いを馳せているのである。
そのことをスイス人は理解している。
商売において、自分で買いたくなるような
ものを売るというのは原点だ。
ものづくりには2つの現場がある。
生産と販売だ。
そのどちらも自らの五感で感じることが重要だ。
僕がこのような徹底した現場主義を学んだのは、
イタリアで働いていたときだ。
そこで僕は「必ず現場に答えがある」という
ことを肌身に染みこませてきた。
何軒も客先の現場を訪問していくと、そのうち
質問をしなくても、「あの人たちならこれが
欲しいだろうな」と想像がつくようになる。
これからの100年をデザインする。
新しい社会システムを作り上げる。
「絵で見せる」というのは、人々の心を
まとめるのに想像以上の力がある。
人間は本来、視覚重視の動物だからだ。
言語や文字が生まれるはるか以前から、
人類は絵を描いていた。
だからこそ、概念を絵にして見せられる
僕らのような存在が、さまざまなプロ
ジェクトの要のポジションにいられるのだ。
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今回も最後までお読みくださり、ありがとう
ございました。感謝!