最先端の科学知識と広大な世界観を兼ね備え、
世界に通用する稀有な官僚として外交・内政
の最前線で日本近代化に貢献しながら、幕末
維新史において軽視されてきた男。
近代日本随一の国際人。
御家人の子として江戸に生まれ育った榎本武揚は、
昌平坂学問所を卒業後、幕府が長崎に設けた
海軍伝習所に入った。
当時の最新の知識や技術を身につけた榎本は、
その後のオランダ留学で知識ばかりではなく、
西欧の考え方を体験した。
帰国した榎本を待っていたのは、「大政奉還」
「王政復古」という体制転換であり、幕臣榎本
は、戊辰戦争の最後の戦いになった箱館戦争で、
「蝦夷共和国」の総裁として五稜郭にこもった。
その後、降伏・幽閉という失意の時代を経て
出獄した榎本は、北海道開拓使として明治
政府に入った。
1874年には、初代の駐露公使としてサンクト
ペテルブルグに赴き、外交官として樺太・
千島交換条約の締結に尽力した。
伊藤博文が最初の内閣を組閣すると、旧幕臣
ながら逓信大臣として入閣した。
これ以降、文部、外務、農商務大臣などの
要職を歴任する。
幕臣から明治政府の要人として生きた榎本を
貫いたのは、血眼になって領土の獲得に
しのぎを削る西欧列強のありように
触発された強烈な「国益意識」であったろう。
榎本の卓抜した発想を支えたのは、事実を
積み上げていく実証主義である。
伊能忠敬の内弟子として測量を学んだ
父武規の影響もあるだろう。
また昌平坂学問所を卒業した時期に、
小姓として蝦夷・樺太探検に
加わった体験もある。
ロシア公使から帰任するときにシベリアを
45日間かけて横断し、軍事、経済、民族
などの情報(インテリジェンス)を書き
付けた『シベリア日記』を残している。
榎本の『シベリア日記』は外交官の
必読書である。
榎本が投げかけてくるものは、国際社会の
現実を冷静に見るリアリズムと事実に
即したプラグマティズムを基にした
日本の戦略的な生き方への豊か
なる示唆となるはずだ。
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ございました。感謝!