哲学者・森信三先生は生前、立腰教育の大切さを
一貫して説かれました。立腰については『致知』
でも時折紹介していますから、ご存じの方も
いらっしゃるでしょう。
腰骨をシャンと立てて正座をしたり、古典を
素読したりする園児たちの様子がそれです。
禅の道一筋に歩まれてきた
臨済宗円覚寺派管長・横田南嶺氏も
ご自身の連載「禅語に学ぶ」11月号にて、
立腰の大切さを綴られています。
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(横田)
寺田一清先生と9年前に『致知』で対談させて
いただいて以来、いろんな話をうかがったので
あるが、今も一番印象に残っているのは、
寺田先生が次のように言われたことだった。
「私が森信三先生の最晩年に、『21世紀の教育
で何が一番大事ですか』とお尋ねしましたら、
森先生は即座に、『それは君、立腰教育だよ』
とおっしゃいました。
私はこれを我が師・森信三の遺訓と受け止め、
白寿を迎える時まで語り続けたいと念じて
おります」寺田先生は、残念ながら白寿には
及ばなかったものの、94歳でお亡くなりに
なるまで、この「立腰」を貫かれたのだった。
『森信三一日一語』にも、立腰についての言葉が
いくつもある。「つねに腰骨をシャンと立てる
こと── これ人間に性根の入る極秘伝なり」
という一語は、実に至言と言える。
では具体的にどのようにして腰骨を立てる
かというと、森先生は、「立腰の三要領は
第一、先ず尻をウンと後ろに引き、
第二に腰骨の中心を前へウンと突き出し、
第三に軽くあごを引いて下腹にやや力を
おさめる」と示してくださっている。
私たちの坐禅においても、この腰骨を立てる
ことは重要である。坐禅は、自らの心を調える
ことを主眼としているが、いきなり心を調える
ことは至難である故に、まず身を正し、息を
調えることによって、心が調えられる
と説いている。
この点についても森先生は、「心というものは
見えないから、まず見える体の上で押さえて
かからねばならぬのです。
したがって正しい心を整えるには、先ずからだ
を正し、次いで物を整える事から始めてゆかねば
ならぬわけです」(『立腰教育入門』より)
と的確に示してくださっている。
禅の書物には、「腰骨を立てる」という表現は
見られないが、「脊梁を竪起する」という言葉
として見られる。白隠禅師の言葉にも、「それ
禅定を修める者は、先ず厚く蒲団を敷いて
結跏趺坐し、寛く衣帯を繋け、脊梁を竪起し、
身体をして齊整ならしむべし。而して始め
数息観を為す」とある。
「坐禅しようと思う者は、まず厚く座布団を
敷いて、両足を股の上に乗せて坐を組み、
衣や帯を緩めて、脊梁骨を立てて、
身体をきちんと整えることだ。
そうして、自分の呼吸を数えることだ」
という意味である。
脊梁は「背骨、背筋、脊柱」のことを言う。
背骨を立てるには、腰を立てねばならない。
腰は文字通り人間の要である。
腰についての言葉もいろいろある。
「腰を入れる」とは、「本気になる。覚悟を
きめてやる」ことである(『広辞苑』)。
「腰を据える」とは「どっしり構える。
おちついて事をする」ことである(同上)。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!