新しい一万円札の顔!「幕末の志士」から
「日本資本主義の父」へ。誰も知らなかっ
た渋沢栄一の素顔を直木賞作家の中村
彰彦が解明する。歴史秘録の決定版!
江戸時代の武士の家に生まれた者は、「男女
七歳にして席をおなじうせず」 の教えに
従い、少年少女がまったく別の勉強
をはじめた。
少年は「子、曰く」と漢籍の素読から
出発し、習字も漢字の書き方を学ぶ。
対して少女は平仮名の読み書きから手習いを
はじめ、『百人一首』『古今和歌集』など
によって歌道を身につけることを求められた。
父の見識は子の教育方針に反映される。
渋沢栄一晩年の回想録『雨夜譚』によると、
父・市郎右衛門は「四書(大学・中庸・
論語・孟子)や五経(易経・書経・
詩経・礼記・春秋)ぐらいの事
は、充分に読めて、傍ら詩を作り
俳諧をするという風流気」
も持ちあわせていた。
当然このような教育方針は
栄一にも適用された。
かれは六歳の時から『大学』『中庸』『論語』
を父について学び、七、八歳になってからは
七、八町離れた手計村の十歳年上の従兄
尾高新五郎(惇忠)に入門。
『小学』『蒙求』『文選』『左伝』『史記』
『漢書』『十八史略』『元明史略』『国史略』
『日本外史』などを読み、十一、二歳の頃
からは『通俗三国志』『里見八犬伝』
『俊寛島物語』のような娯楽的読物にも親しんだ。
尾高家が衰運におもむきつつあるのに対し、
渋沢家は市郎右衛門・栄一父子の商才に
よって大いに栄えていたから、栄一は
いずれは裕福な名主となって一生
を終えてもよかった。
しかし栄一には、すでに見たように何として
も武士になり、時代の流れに棹さして
みたいという夢があった。
中村彰彦『渋沢栄一。むさぼらなかっ
た男。士魂商才の人生秘録』
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!