本書では、元国税調査官が日本の「古代~現代史」
にガサ入れ。
歴史上の「謎」も、「お金の動き」を読み解く
ことでどんどん解決していく。
信長は金融改革でデフレ解消。
龍馬はニセ金で倒幕資金を調達。
明治の日本が他のアジア諸国に見られない急速な
文明開化ができたのは、政府高官たちが賢かった
から、だけではない。
実は江戸時代のころから、それなりの産業力、
経済力、金融制度の土台を持っていたのである。
古代から日本は技術立国だった。
古代史に出てくる蘇我氏は、税を管理するポスト
に就いて大出世し、経済力もつけたのである。
必然的に、「財務の実権を握った者」が経済力
を持つことになる。
本書で述べる「お金」というのは、貨幣そのもの
のことだけではない。
冨、経済、権益の象徴としての『お金』である。
平清盛が入れ込んだ「日宋貿易」のすごいうまみ。
現場を仕切っているものが一番強い。
そのため清盛は、貿易の現場に深く携われるポスト
を奪取していくのである。
源頼朝が多くの武家を惹き付けた最大の理由は、
「社会経済システムの変革」
を標榜していたからである。
戦国時代、キリスト教が入ってきた。
極端にいえば、南蛮貿易は、キリスト教の
布教の一環でもあった。
布教と交易は表裏一体のものだった。
宣教師が各地に派遣されると、商人たちも
帯同し、交易を行ったのだ。
織田信長の経済力の強さは「港」
から生まれた。
信長が強力な軍を持てたのは、経済
戦略の賜物だといってもいい。
莫大な経済力を手にできたのは、織田家が
重要な港を押さえていたからだ。
尾張の物流拠点の「津島」だ。
豊臣秀吉は本当に大金持ちだったのか。
秀吉は直轄領を222万石しか持っていなかった。
250万石の徳川家康よりも少ない。
秀吉が天下を治めることができたのは、「領地
は少ないが、経済力はあった」からである。
秀吉は全国の主な金山銀山を手中に納めていた。
だからといって豊臣政権が盤石というわけ
ではなかった。
秀吉がさほど持っていなかった「領地」という
ものは、経済力という尺度だけでは測れない、
他のメリットがあるからだ。
領地には、そこから取れる農産物や鉱物だけ
ではなく、「人」も付随してくるのである。
領地を持つということは、そこに住んでいる
人々を傘下に治めるということだ。
それだけ「動員できる人数が多い」という
ことなのだ。
当然のことながら、豊臣家を滅ぼしたあとの
家康のほうが、はるかに大きな経済力を
持っていたことは確かだ。
なぜなら、豊臣家の資産や利権をすべて
受け継いだのであるからだ。
経済戦争として、大坂の陣。
家康が豊臣家を潰した大きな理由の一つは、
「大坂」という土地が持つ、不気味な
経済力にあるといえる。
大坂、堺を押さえるということは、日本の軍需
物資の大半を押さえるということである。
南蛮船や明から運ばれてくる武器や火薬、日本
全国から集められる食糧などが、ここで
せき止められることになる。
家康の本拠地である江戸と、大坂では、
経済力にまだ雲泥の差があった。
当時の江戸は、まだ片田舎に過ぎず、産業
などは大坂に大きく遅れを取っていた。
豊臣家が滅んで100年後、江戸幕府は享保の
改革を行うが、この改革のテーマの一つが、
「大坂経済圏からの自立」だった。
江戸は日本の首都であったにもかかわらず、
商工業は大坂経済圏に依存しきっていた。
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今回も最後までお読みくださり、ありがとう
ございました。感謝!