困った人たちに救援の手を差し伸べる「おせっか
い協会」会長の髙橋恵さんの活動の原点は、
壮絶な幼少期の体験にあります。父親が戦死した
後、高橋さんの母親は女手一つで幼い子供たちを
育てますが、母親が手掛けていた事業は破産。
高橋さんの一家は極貧生活を強いられた挙げ句、
離ればなれになってしまいます。
そこで高橋さんを待っていたのが、辛い虐め
でした。『致知』5月号に掲載された高橋さん
の体験談を紹介します。
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(高橋)
妹に続いて姉と私も離ればなれになり、知り合
いの家に預けられた私を待っていたのが壮絶な
いじめだったんです。
その家のおばあさんから四六時中小言を言われ、
否定され、どこにも居場所がないように感じ
ました。何か失敗して手をついて謝っても、
これでもかというくらい頭を足で踏みつけら
れる。私はこのおばあさんが怖くて怖くて
仕方がありませんでした。
涙をいっぱい溜めてはトイレでよく泣いていま
したね。「お母さんや姉、妹はどうしている
だろうか」と思っても、母の苦労を考えると
耐えるしかありませんでした。
ある日、トイレの小窓から鳥が飛んでいるのが
見えたんです。「鳥は自由でいいなぁ」と
思った瞬間、壁もない垣根もないところで自由に
飛べる鳥たちのように、私もどんな時もプラス
思考で、後を振り向かないで自由に生きていこう
という思いが心の底から湧き上がって、胸が
高鳴りました。
(中略)
私がお世話になって10年以上経った時、そのおば
あさんが危篤になったという報せが届きました。
最後に会っておきたい気がするけど、どんな話を
したらいいんだろうと思って病室に入りました。
おばあさんはすっかり弱々しくなっていて、
最初にこうおっしゃるんです。「当時はすま
ないことをしましたね」って。私のことを
ずっと気にかけてくれていたと分かった瞬間、
それまであったわだかまりが消えていくのを
感じましたね。
その時、思い出したのは鹿児島の知覧特攻平和
会館に展示されている相花信夫さんという十八歳
の特攻隊員が母親に宛てた遺書でした。
その母親は継母で、相花少年は最後まで「お母
さん」と呼べなかったことを詫びる内容です。
「母上お許し下さい。さぞ淋しかったでしょう。
今こそ大声で呼ばして頂きます。お母さん
お母さん お母さんと」と締め括られた遺書を
見て私は号泣したんです。
私がお世話になったおばあさんもきっと、謝らな
いでは死ねないという気持ちだったのでしょう。
この2人を通して人間は死ぬ前にどうしても言っ
ておきたいことを言えないでいるとあの世に
行けない、死ぬ時にその人の本心が現れると
気づかされました。「許す」ということが、
いかに人生において大事かということですね。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!