あの戦争は誰が何の為に始めたのか? 海軍
とはどのような組織だったのか? なぜ、“特
攻”という無謀な作戦を考えたのか? 海軍
中枢にいた当事者たちの告白記録は、大
変な反響を呼びました。
衝撃の史実に向き合ったスタッフの苦悩や
苦闘、そして一つでも多くの真相に迫ろう
とする意欲。「あの戦争を二度と繰り返
さないために」埋もれていた太平洋
戦争の裏面史に光をあてる。
戸高一成氏と出会ってから2年近くたった
その日、居酒屋に私たちはいた。そこで彼
がそれまで一度も口にしなかった「軍令
部」中枢の海軍士官などによって、秘
密に戦後行なわれていた「海軍反省
会」とその録音テープの存在を明らかにした。
戸高氏が明かした「海軍反省会」とは何か。
1980年から1991年まで、分かっているだ
けで131回にわたって、ほぼ毎月、海軍
士官のOB組織である「水交会」で開
かれた、秘密の会議である。メンバー
の多くが、太平洋戦争当時、軍令部
や海軍省に所属していたエリート軍人だった。
戸高氏は千葉市の自宅の近くに、一軒家を
改築した書庫を設けている。そこに毎週通
う古本市などで入手した、膨大な量の資
料や書籍を収納している。
海軍は、陸軍に比べ、士官の絶対数が少ない。
しかも、狭い艦艇に皆が同乗して戦うため、
士官同士の人間関係が非常に重要視さ
れる。その基礎となるのが、海軍
兵学校の同期、先輩後輩の関
係だというのである。
海軍が行う作戦の計画・立案を担うトップ
エリート集団、軍令部。なかでも「作戦課」
と呼ばれる軍令部一部一課を統括する一部
長は、作戦に関する絶大な権力を持っていた。
「海軍は、オープンな組織だったにもかか
わらず、大きな組織(海軍)の方針につい
て、思ったことをすべて言えなかったと
ころがあった。反省会では言うべきこ
とを言ったが、戦時中、トップの方
針に対しても言うべきだったのに
言えなかった」 (鳥巣建之助中佐)
豊田隈雄大佐は、海軍兵学校卒業後、艦隊
勤務、海軍大学校を経て、昭和15年から終
戦まで同盟国ドイツに駐在、大使館付武
官補としてドイツとの折衝役という
大任を担っていた。
NHK取材班『日本海軍400時間の証言:
軍令部・参謀たちが語った敗戦』
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!