東京都の都立小山台高校教諭で野球部助監督の
田久保裕之さんにとって、『致知』は
日々の仕事の支えです。
その田久保さんは、亡くなった野球部員が
赤トンボに姿を変え選手たちを励ます
様子を何度も目の当たりにされます。
田久保さんが書かれた感動的な「致知と
私」の文章をぜひご一読ください。
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「どんな20代30代がいるかで、
その国の未来は決まる」
昨年、東京渋谷で行われた『20代30代の
ための人間力養成講座』で藤尾社長から
この言葉を聞いた時、これだ、と思いました。
私が『致知』と出会ったのはいまから
4年前のことです。
尊敬すべき先輩方が共通して読んでいた
雑誌、それが『致知』でした。
『致知』を読んでいる先輩方の眼力と
言葉には引き込まれるような力があり、
人柄も大変魅力的で「こんな先生
に教えてもらっている生徒は
毎日どれだけ幸せな思い
をしているのだろう」
「自分もそうなりたい」
と藁にもすがる思いで定期購読
を始めました。
私には夜間定時制高校の進路指導主任と、
100名を超す部員が在籍する全日制野球
部顧問という二つの顔があります。
全校集会で話をする時は、ある時は
『致知』を片手に、ある時は致知
出版社から発刊されている
書籍を手にして話をします。
生徒たちの目が輝くのはもちろんのこと、
校長や同僚教員から「その雑誌を見せて
くれ」と言われることも多々あります。
野球部員には、『致知』の感想文コン
クールへの応募や、スタッフの皆様に
ミーティングに参加していただいた
こともありました。
あまりの衝撃に、部員たちのその日の
日誌が『致知』の文字で埋まった
こともありました。
今年の夏、0-10の劣勢から大逆転勝利
する試合を彼らは演じました。
奇跡は起こすもの。
絶体絶命の状況にも動ぜず、全員が一丸と
なって戦う姿は人間力の結集という言葉
に他なりませんでした。
そして、その時赤とんぼもスタンドに
来ていたのです。
2006年6月、本校野球部員だった市川大輔くんが、
シンドラー社製のエレベーターに挟まれて
帰らぬ人となる事故がありました。
事故から数か月後、大輔くんは赤とんぼに姿を
変え私たちのもとへ戻ってきました。
監督の膝に止まり、指に止まり、飛び立った
後も「大輔!」と呼ぶと、またぴゅーっと
指に戻ってきたといいます。
以後、赤とんぼは何度も何度も私たちの
前に現われました。
甲子園を決めた試合、大逆転を決めた試合、
時には肩を痛めた選手の右肩に、そっと
止まっていたこともあります。
彼のモットーであった「当たり前のことを
当たり前にやる」「一分一秒を悔いのない
ように生きる」「エブリデイ マイ ラスト」
という言葉は、脈々と後輩たちに受け
継がれていたのです。
いくつもの奇跡を見てきた彼らにとっては、
0-10からの勝利は奇跡ではなく、いつも
通り全員でベストを尽くした先に
あったものだったのです。
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『致知』には運命を変える言葉がある
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今回も最後までお読みくださり、ありがとう
ございました。 感謝!