汚れ仕事を嫌ったら駄目!!そこに宝が眠っている 第1,074号

1 井村屋グループ会長の「私の座右銘」

2 今日の「一日一言」/森信三一日一語

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1 井村屋グループ会長の「私の座右銘」
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  浅田剛夫(井村屋グループ会長)

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 創業から120年の歴史を持つ井村屋。

 現会長の浅田さんの座右の銘は、「人の

縁は仕事の縁、そして学びの縁」です。

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 いま思えば井村屋で仕事をするように

なったのも、不思議なご縁という

他ありません。

 醸造会社に就職して4年目、私は中学の

同級生で、後に井村屋の社長を継ぐ

井村正勝君と再会し親しく話

す機会がありました。

 彼が言うには、まだ地方の一菓子会社

だった井村屋が、翌1970年の大阪

万国博覧会で、アメリカ企業

との技術提携による高級

アイスクリームの販売を行うといいます。

 この成功をバネに国内の市場に

打って出ようという作戦です。

 そして、彼は私に「その営業メンバー

にぜひ加わってほしい」と打診

してきたのです。

 「これは千載一遇のチャンスだ」。

 聞いていた私の胸はときめきました。

 一方で私を雇い入れてくれた醸造

会社への恩も頭を過ぎりました。

 悩んだ挙げ句、私は菓子業界という新

たな舞台に自分の全人生を懸ける

ことを決意しました。

 28歳の時です。

 不思議な縁はこの後も続きます。

 アイスクリーム販売でお世話になった

コロンビア館の館長ご夫婦から、アメ

リカやメキシコの旅に誘われました。

 長期の休暇を取るのは難しかったのです

が、井村君も同行することで当時社長

の井村二郎氏の同意を取りつけ、

45日間、アメリカ大陸を

見聞する機会を得たのです。

 井村君と交代で車を運転する過酷な

貧乏旅行でしたが、若い時ならで

はの体験が、後にどれほど役

に立ったか分かりません。

 社員時代の私は、いくつかの新規事業

の立ち上げや事業の再建に取り

組んできました。

 忘れ難い思い出の一つが1972年に

始まる外食産業への挑戦です。

 井村二郎氏は万博後の発展を見越し、

新たな目標にレストランビジ

ネスを掲げました。

 デザートパイで定評のあるアメリカの

レストラン・アンナミラーズの日本

店を、東京を中心に展開する、

という計画です。

(中略)

 改めて私自身の経営の原点を振り返る時、

幼い私に商いや人としての生き方を教

えてくれたのは、戦後、古物商を

営んでいた祖母でした。

 「古物は細かく仕分けることで儲けが

出る。大雑把な仕事はあかんよ」

 「汚れ仕事を嫌ったら駄目。そこに

宝が眠っている」

 「お金は使うことで回ってくるよ」。

 そんな言葉がいまでも甦ってきます。

 「人の縁は仕事の縁、そして学びの縁」

とは、自作の座右の銘ですが、いただ

いた無数のご縁に報いるためにも、

120年以上の伝統を絶やすこと

なくどこまでもイノベーシ

ョンを重ね、挑戦を

続けていく覚悟でいます。

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 『致知』の愛読者でもある浅田さん。

いまも「学びをの縁」を大切にされ

ている姿勢がとても印象的でした。

『致知』2018年7月号

    連載「私の座右銘」P104

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2 今日の「一日一言」
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 人間はおっくうがる心を刻々に

切り捨てねばならぬ。

 そして齢(とし)をとるほどそれが

凄まじくならねばなるまい。

     『森信三 一日一語』

今回も最後までお読みくださり、

    ありがとうございました。感謝

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