無一文になっても仕方がないという覚悟でした 第 2,907 号

鹿児島県を代表する有力企業である
スーパーマーケットのタイヨー。

同社がかつて深刻な経営危機に陥った際、
再建を主導したのが、清川照美氏です。

多額の借入金、周囲の無理解……
細腕に抱えきれないほどの試練を乗り越えて
掴んだ経営の秘訣、そして幸福の条件とは?

『致知』最新号のインタビューより
一部をご紹介いたします。


……………………………………………………
「タイヨーの奇跡」はこうして実現した
 清川照美(タイヨー副社長)
……………………………………………………

――御社が直面された経営危機についてお話し
 ください。


私は二〇〇二年より弊社の監査役、取締役を
務めて、いったん会社を離れました。

弊社が他社から狙われていると噂される中、
二〇一二年に復帰してみると会社の状態が
随分おかしくなっていました。

出店はどんどん加速しているのに、
売り上げは停滞して、経費ばかりが
どんどん膨らんでいる。

不動産収入があるので気づきにくかったの
ですが、数字を見てこれは大変だってすぐに
分かりました。


東京の会計士の先生に決算書をダンボールで
送り、プロの目で確認していただいたら

「清川さんがおっしゃる通り、
 大変な状況になっています」

と。

株価も、本来なら二千円くらいの値が付いても
おかしくないのに五百円台まで落ちていて、
こんなにお買得な買収案件はありません。

実際、外資ファンドが弊社を買収するという噂も
どんどん入っていて、これは大変だと思って
再建に取り組んだのです。


――具体的にどんな手を打たれたのですか。


上場廃止(MBO)を決断しました。

弊社はそれまで東証二部(当時)へ上場していま
したが、市場へ出ていた株を買い戻して買収を
防ぎ、会社を再建することにしたのです。

周囲からは、そんなのは無理だから
売ったほうがいいと言われましたけど、
何としても会社を守り、社員を守り、
地元の産業を守らなければという一心でした。

おかげさまで銀行様や会計士、弁護士の先生方を
はじめ、お取引先様方、たくさんの方々のご支援
をいただいて、翌二〇一三年九月にMBOをやり
遂げることができました。


けれどもMBOのために要した借入金は、
合計四百五十四億円にも上りました。


――借入金が四百五十四億円。
 相当な覚悟が要ったのでは。


ハッキリ言って、怖かったですね。

個人資産もすべて担保に入れて、
失敗したらゼロ。

無一文になっても仕方がないという覚悟でした。

そこまで腹を括ることができたのは、
結婚の際に義父からいただいた
「照美さんはタイヨーの嫁だ」という言葉が、
心の中にずっと残っていたからでしょうね。


――MBOを実施されたことに対して
社内の反応はいかがでしたか。

(……本誌に続く)


清川氏はいかにして会社を再建されたのか。
詳しくはぜひ最新号をお読みください。

清川氏のインタビューの詳細はこちらから
https://www.chichi.co.jp/info/chichi/pickup_article/2023/202311_kiyokawa/

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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