人間として生まれた以上、
「老い」は誰もが直面することになる問題です。
自分自身の老いだけではなく、
年をとった親の介護なども
現在の日本社会では大きな問題となっています。
誰にでも訪れる老いや介護に、
私たちはどう向き合っていくべきか――。
シスターの鈴木秀子さんのお話は
優しく背中を押してくれます。
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(鈴木)
随分前の話になりますが、私の親しい友人が
96歳になる母を自宅に引き取りました。
母は気丈な性格で、相手が我が子だと思うのか、
好き放題を口にし、常に上から目線で指示、
命令するのです。友人の夫が入浴を介助しよう
とすれば、母は体をバスタオルでくるみ、
少しでも肌が見えると怒り始めます。
実の母親ながら友人は時々投げやりな態度を
取るようになり、母は母で意地悪な
自分の言動を思い出しては時折、
自己嫌悪に陥ってしまうのです。
このように、介護の問題は人間関係の嫌な部分、
隠しておきたい部分を露骨に浮き立たせて
しまいます。
その結果、介護する側もされる側も、肉体的、
精神的にヘトヘトになってしまうところに、
この問題の深刻さがあります。
私に寄せられる相談も、
介護に関する内容が少なくありません。
もちろん、すぐに解決できる方法などありま
せんが、私が介護者にアドバイスできること
はまずは現実をしっかりと受け止めること。
その上で決して無理をしない、いい人になろう
と思わないことです。
自分を犠牲にして一所懸命相手のために尽くす
のは尊い行為のように感じられますが、
長続きはしません。
無理をしていたら、せっかくの行為が
「こんなにしてあげているのに」
という怒りや恨みの感情に変わることも多く、
場合によっては支え手である自分までが病気に
なってしまいます。
「本当は介護はこうあるべきなのに、この程度
で情けない」などと自分を責めそうになる時や、
「辛い」「嫌だ」というマイナスの感情が込み
上げてくる時には、「満足できるレベルではない
が、小さいことでもできる自分がありがたい」
と、無理にでも気持ちを切り替えてください。
ささやかでも役に立っている喜びを感じ取って
ください。
キリスト教には「回心」という言葉があります。
現実は変えられなくても、心を回して見方や
発想を変えることはできます。
できるだけ感謝できるように心を回していく
ことが、ストレスを減らし長期の介護を続ける
上ではとても大切です。
※本記事は月刊『致知』2018年3月号
連載「人生を照らす言葉」から一部を抜粋・
再編集したものです。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!