一大事とは今日只今の心なり。
江戸期の禅僧・正受老人の言葉です。
とかく過去や未来に目を奪われ、
大切な足元を疎かにしてしまいがちな
我われ凡夫への尊い戒めといえるでしょう。
この名句と同様に、作家として、尼僧として、
それぞれの立場から人々に多くの示唆を
与えてきたのが五木寛之氏と青山俊董氏です。
共に90代の坂に差しかかったお二人は、
人生の大事をどう捉え、
いまをどう生きておられるのでしょうか。
『致知』最新号の対談記事の一部を
ご紹介いたします。
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受け皿が小さければ
尊い話も受け止められない
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[青山]
気持ちとしては、お師家様からいただく
十のお話を十全部聴こうという姿勢で
一所懸命聴いてきたつもりでおります。
けれども、受け皿が一なら一しか
聴けませんのですわな。
自分の受け皿を伸ばさなければ、いくら尊い
お話をいただいても聴けないわけです。
ですから私は、お師家様のお話を
一所懸命聴いてきたつもりでも、
ほんの一部しか聴いていなかった。
その一部でさえも、
ちゃんと聴けていればよろしいのですが。
二、三十年も前のことですが、
化粧品会社から、「美しき人に」
というテーマで講演してほしいと
頼まれたことがあるんです。
さすがにその時は、
「私の話は塗ったり染めたりの、
洗って剥げる話じゃありません。
毎日をどう生き、目に見えない鑿(のみ)で
いかにして美しい人格を刻み続けるか
という話ですから、化粧品会社のお役には
立ちませんよ」
と申し上げたのですが、
それでもいいとおっしゃるんです。
そしてそこの化粧品を扱っている
小売店の店主の皆さんたちに、いかにも
その場にそぐわんお話をしたわけです。
すると話し終わって会場から上がった質問が、
「先生はどんなお手入れを
なさっているのですか?」と(笑)。
私は、大切なのは見た目を取り繕う
ことじゃないっていうお話をしたんですが、
お手入れということを生涯の仕事としている
人には、その角度からしか聴いていただけない
のだなぁと思ったことです。
私はそこで改めて、僅かでもいい、
一年生きたら一年生きただけの
受け皿の伸びを持たなければならんと、
自分の心に刻んだ次第なんです。
※『致知』最新号では、
以下のような内容について、
10ページ分にわたる記事が掲載されています。
・聖人の行く所はすべて楽土となる
・大事な話は耳鳴りがするほど聴け
・定法なきところに大法あり
・悟りを開いた後も再び俗世に身を投じて
・病気のおかげでどうにか一人前になれた
・生かされている自分を自覚する
※記事の詳細について詳しくはこちら
https://www.chichi.co.jp/info/chichi/pickup_article/2023/202401_ituki_aoyama/
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!