生きる意味は探せばちゃんとあるのだと感じたんです 第 2,639 号

アウシュビッツでの過酷な体験を綴った
『夜と霧』の著者であるV.E.フランクル氏と
生前親交のあった医師・永田勝太郎さん。

永田さんが大病を患った際、フランクルさん
の言葉によって心の持ち方が変わり、奇跡的
に病を克服することができたといいます。
その体験談をお届けします。

─────────────────

〈永田〉
ある時大病を患って、
突然歩けなくなってしまったんです。
何だろうと思っているうちに立つことも
できなくなって寝たきりになり、ベッドの
そばにあるトイレにすら自分の力では
行くことができなくなりました。
薬の副作用のため、末梢から筋肉が萎縮し、
力が抜けていくという病気でした。

そういう状況の中で、頭の中では
何を考えていたかというと、人間は死を
受容できるのかということでした。自分が
間もなく確実に死ぬと思っていましたから、
毎日毎日天井を見ながらそのことばかりを考え
続けました。


ただその時に、
あの世はあるかということは思わなかった。
自分がもし万が一生きられたらって、
いつも思っていましたね。

つまり、死んだらどうなるかということ
よりも、生き延びることができたら、
自分の人生を何に使おうかと考えたわけです。
だから僕も楽観的だったと思うんですが、
散々悶々と考えた揚げ句に出た結論は、
俺は死を受容できないということでした。
受け入れられないから、もし死んだら化けて
出るだろうと。だったら生きるしかないだろう
と思うようになったんですね。


ところが病状は日に日に悪化し、
ペン一本すら重たくて持てない。
眠るたびに酷い悪夢に襲われ、全身汗だく
になって目が覚める。僕が倒れたのは
ヴィクトール・E・フランクル先生が
亡くなった翌年の1998年だったんですが、
僕はとうとう彼の奥さんにこんな手紙を
書きました。


「エリーさん、さようなら。
僕はいま死ぬような大病を患っているんだ。
もう二度とウィーンの街を歩き回ることもない
だろう。これから先生の元へ行きますよ」

そしたらエリーさん、慌てて返事を
くれましてね。


「あなたがそんな病気でいるなんて、
とても信じられない。私は医者ではないから、
あなたに何もしてあげることはできない。
けれども生前、ヴィクトールが私にいつも
言っていた言葉をあなたに贈ろう」

この言葉が僕を蘇らせてくれたんですね。

「人間誰しもアウシュビッツ(苦悩)を
持っている。しかしあなたが人生に絶望しても、
人生はあなたに絶望していない。
あなたを待っている誰かや何かがある限り、
あなたは生き延びることができるし、
自己実現できる」


この手紙を僕は何百回も読み返しました。
そうして考えたのは、
いまの自分にとっての生きる意味とは
何だろうということでした。
そして考え続けた結果、
「あなたを待っている誰かや何か」
の焦点は私にとっては医学教育であり、
生きる意味は探せばちゃんとあるのだと
感じたんです。


それから私はよし、
と気合を入れ直してリハビリに専心し、
毎日鍼治療も受けました。さらに漢方薬や
温泉療法なども行って、2年後には奇跡的に
職場復帰まで果たすことができたんです。
エリーさんのあの言葉がなかったら僕はいま
ここにいませんよ。


★永田勝太郎さんには、
月刊『致知』10月号で五木寛之さんと
対談していただいています。

【対談】「フランクル『夜と霧』が教えて
くれた人間の光と闇」の詳細・ご購読はこちら 

★本対談は【致知電子版】でも全文お読み
いただけます。詳細はこちら 

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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