相手の立場に立って冷静に物事を捉える習慣が求められます 第 2,073 号

芥川龍之介の代表作である『羅生門』。
荒廃した京を舞台に繰り広げられる下人と老婆の
人間模様は、現代社会を象徴するものであると
本誌連載でお馴染みの文学博士・鈴木秀子さん
は語られます。

この小説は私たちにどのようなメッセージを
送っているのでしょうか。


───────────────────

(鈴木)

主人公の下人は、この荒れ果てた羅生門の下で、
行く宛てもないまま雨が止むのを待っていまし
た。住む家も職も失っていた下人は、
「盗人になるより仕方がない」と思いを固めて
楼閣の梯子を上っていきます。


そして、そこで一人の老婆の姿を目にします。
老婆は羅生門の上に無造作に捨てられた死骸
の髪の毛を一本一本抜いていました。
それは想像するだけでも背筋が凍るような光景
です。


(中略)

老婆の姿を見た途端、下人の心の中で、あらゆる
悪に対する反感が強さを増してきたという場面
から、私はこのところ大変気になるある現象を
思い浮かべます。

それは、特定の人にターゲットを絞って
とことん追い詰めるSNSの負の一面です。

繰り返し罵詈雑言を浴びせかけ、
最後は自殺にまで追い込んでしまう
人間の心理状態は異常という他ありません。
この悪しき風潮の引き金になっているのは、
間違った自己中心的な正義感です


気に入らないことがあると自分は正しい、
相手は間違っていると決めつけ、
あたかも正義の権化になったかのような錯覚に
陥って他人を攻撃してしまうのです。
時にそれは麻薬のように人間を狂わせる破壊力
すら持っています。


下人はずっと鬱々とした状態でいました。そう
いう時、目の前に老婆が現れるや、たちまち
正義の塊のように心が変化し、どこからともなく
力が湧いてくるのを感じます。

下人の意識はその時、それまで自分が盗人になろう
としていたことすらどこかに吹き飛んでいたのです。


この下人のように、私たちの心も何気ないきっかけ
によってマイナスの方向に大きく舵を切る危険性
を秘めています。

殊にいまのコロナ禍のような圧迫された空気に
覆われた時、下手をすると人を叩きのめすこと
で自分を守ろう、気晴らしをしようとする本性が
がむきだしになりかねません。


SNSのような相手の顔が見えない世界において
はなおさらです。そういう落とし穴が生活の
いろいろなところに潜んでいることを知らなく
てはいけません。


(中略)

正義という言葉は確かに力強く耳心地のいい響き
があります。しかし、正義は自分から見れば
正しくても、相手から見ればとんでもない思い
上がりであることもあるのです。

善悪を判断する物差しは人によって皆異なり
ます。だとしたら、「自分は正しい」「間違っ
ているのは相手だ」という思い込みを一度手放し
て、相手の立場に立って冷静に物事を捉える習慣
が私たちには求められます



※『致知』4月号「人生を照らす言葉」より

 今回も最後までお読みくださり、

   ありがとうございました。感謝!

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