データを読めないド文系人間が日本を滅ぼす !
「数量政策学」とは何か ? 言葉に頼るから言
葉に騙される。財政破綻という財務省の
煽動。戦争を数量的に考えろ !「統合
型リゾート(IR)整備推進法案」に
は反対しない。「憲法改正」の
数量政策学的アプローチ。
「官僚国家」に騙されるな !
憲法改正、消費税増税凍結の秘策。
文系の人間と理系の人間の違いは、物事を
数量的に考えられるか、そうではないかと
いう点だけだろう。ただし、これは
極めて大きな違いである。
文系の人というのは、そもそも数量的な考
え方ができないから文系の道へ行く。
私は言葉の定義を重要視する。
知識のない人にはおそらく創造はできない。
文系の人というのは、何も知識がなく感性
だけで生きている。感性は、実は知識
の人も得ることができる。
私は、言葉を聞いた時には、それをきちんと
定義しないと気が済まない。そうでなけれ
ば、ふわっとした話にしかならない。
私の頭の中では、言葉と数式が、常に並列に
動いている。数式が言葉である、という理解
は文系の人たちにはまず不可能だろう。
もっとも多義性がなく曖昧性がない言葉が
数式である。私はまず数式で理解し、それ
を言葉で翻訳し、数字と言葉の両方を使う。
主観とはただのヤマカン。
タイムゲームという素晴らしき手抜き。
私は仕事を時間ゲームとして捉えて
いる。それがタイムゲームだ。
最初から、この時間には何時間かける、
と時間の長さを決めてある。私は、も
ともとそういう人間である。物
を書くのも時間で書く。
わたしは周囲のことは全然気にしない。空
気など読まない。役所時代もそうだった。
とにかく早く帰る。帰ってしまえば、わか
りはしない。腹が痛いなどと言って、い
なくなってしまうのである。
手を抜くときは抜く。省エネというのは、
ある意味で、手を抜くところは抜く
というそれだけのことだ。
とにかく新聞はまったく読まない。新聞の
ヘッドラインを見る。その多くは役所を
はじめとするいくつかの機関がソー
スになっている。
だから、そのソースを読む。
高橋洋一『ド文系大国、日本の盲点』
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!