バット職人の名和民夫さんは、
イチローが使うバットの制作者として
知られています。
名和さんはイチローのバットをつくるにあたり
どのような思いを込めているのでしょうか。
名和さんにご登場いただいた『致知』
2022年5月号の記事の一部を紹介します。
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(名和)
バットづくりの師・久保田五十一に伴われ、
メジャーリーガーのイチロー選手のもとへ
挨拶に伺ったのは、
2007年のシーズンオフのことでした。
久保田は、現代の名工にも選出された
超一流のバット職人で、イチロー選手からも
絶大な信頼を寄せられていました。
私はその久保田から、
「今後は、この名和がイチローさんのバットを
つくらせていただきます」
と紹介されたのです。
イチロー選手は、つくり手が
替わることへの不安を明かしつつ、
「僕のバットをつくる時には、
相当な覚悟を持って臨んでください」と、
私の目を真っ直ぐに見ておっしゃったのです。
バッターボックスに入る時には、
ピッチャーとの勝負にすべてを注ぎ込みたい。
そのためにも、バットのことも含め他の不安
要素を一切排除したいというのが、真剣勝負の
世界に生きるイチロー選手の強い思いでした。
久保田の下で修業を始めて約15年。
ようやくバットづくりというものが分かり
かけてきたと思っていた私は、イチロー選手
の言葉に身の引き締まる思いがしました。
いまのレベルに甘んじていてはならない。
もっと自分を磨き、高めていかなければ。
そう決意を新たにした瞬間でした。
(中略)
2011年の東日本大震災の直後、アメリカで
キャンプに臨んでいたイチロー選手が、
バットの形を少し気にしているようだと
伝え聞いたことがありました。
確認してみると、グリップエンドの研磨が
僅かに粗くなっていることが分かりました。
これは直接お持ちしなければ。私はそう判断し、
すぐさま新しい試作品をつくると、
交通機関がまだ混乱する中を強行して
アメリカへ飛んだのです。
イチロー選手は私が訪ねてきたことに驚かれ、
「これなら大丈夫ですよ」と大変喜んで
くださいました。ミズノの創業者・水野利八
の生前の口癖は「ええもんつくりなはれや」
でした。よいものをつくり続ければ、
自ずと信用はついてくる。久保田の下、
この創業の精神に貫かれた会社で仕事をさせて
いただいた幸運を、私は噛み締めています。
いまは一人で会社の看板を背負うのではなく、
チームでよいバットをつくり上げていく
体制へと方向転換しました。
培ってきた技術を共有して
後輩の成長を促すと共に、
私自身も後輩に学び、互いに切磋琢磨して
全体のレベルアップを図っているのです。
まだまだ若手には負けない。もっともっと
よいものをつくりたいと念じながら
日々バットに向き合っています。
かつて久保田を訪ねてきた引退選手が、
「生涯に一本だけ、久保田さんのバットの力で
打たせてもらったホームランがあるんですよ」
と、感謝の言葉を述べられたことがありました。
こんなつくり手冥利に尽きる言葉を
かけられるような仕事をしたい。
それが私の心からの願いです。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!