長崎のカトリック神父・古巣馨さんの原点は、
隠れキリシタンの伝統が息づく故郷・長崎県
五島列島の奈留島で見たお母様の姿でした。
「人前で疲れたと言うな」これは大変な苦労を
乗り越えて子供たちを育て上げた
お母様の人生観が凝縮されたような言葉でした。
『致知』2月号の特集記事から
その一部をご紹介します。
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(古巣)
神学校の高等部3年生の冬休み、
私は(長崎県五島列島の)奈留島に帰省しました。
家に帰っても誰もいません。
家の下の浜辺に行くと、母が波打ち際に
重ねられたトロ箱に入ったアカイカの腹を
せっせと割いていました。
「ただいま」と声を掛けると「いま帰ってきた
とな。すまんけど手伝ってくれんか」と言われ、
すぐに着替えて一緒に作業をしました。
その日は殊の外寒く、みぞれはやがて小雪に
変わります。
日が暮れ始めた頃、
母は黙って立ち上がると家に戻っていきました。
私はきっと温かい料理でも
準備してくれるのだろうと思っていました。
ところが、母は電線を引っ張ってきて、
海に突き出た櫓に裸電球を吊し、その灯りの
下でまたイカの腹を割き始めるのです。
アカイカは足が早く、
スルメに加工するには
その日のうちに捌き終わらないといけません。
しかし、空腹と寒さといつ終わるともしれない
焦燥感の中で私は呟きました。
「おふくろ、残りは明日にしようか」
すると、背を丸めたままの母は振り向きもせず
イカを割きながら
「おまえだけ早く上がって温々しとけ。
おまえは神学生だから大切にされんばたいな
(大切にされなくてはいけない立場だからな)」
と皮肉めいた言葉を口にしました。
そして、続けて言ったのです。
「人前で疲れたって言うな。言うてしまえば
それで報いは終わる。疲れた時は誰も
おらんところで神様にそっと言え。
よかごとしてくださる」
母は代々カトリックの家に育ち、古巣家に嫁いで
きました。古巣家は70人の漁師を抱える網元
でしたが、私が小学3年生の時に倒産し、当時で
10億円もの負債を抱えるようになりました。
酒に溺れるようになった父に代わって、
母は朝6時に家を出て土木作業員として働き、
6人の子供を育てるのです。
夜9時に帰ってきた時には
コールタールの臭いが染みついていました。
母が化粧をした姿を一度も見たこともないし、
参観日に顔を見せたこともありません。
祈る人の姿の最初の記憶は母でした。毎朝、
神棚の水を替え、朝夕、仏壇に膳を供える。
母は隠れキリシタンの風習を守りました。
そして、生まれながらのカトリックの祈りは、
就寝前の寝間で独りそっと唱えていました。
体を折り曲げて突っ伏している母を見て、
心配した私は母の膝を揺らして尋ねました。
「どがんしたと?」。すると母は答えました。
「いま神様と大事なお話をしているから、
ちょっと待っとってね」。
祈りとは、神様と大事な話をすること。
これが祈る人の最初の姿でした。
※『致知』2022年2月号
「愛と祈りと報恩に生きて」より
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!